#recentA Journal Edited by Shun Muraki.
散歩三昧。 ひとりでいる時間が長すぎるかもしれない。 怖くなるけど、自分はそうやって努力する道を選んだのだから、と思い返しながらなんとか前へ。 突き止めるまでに投げ出したくなることもあったが、自分がどうなったら満たされるのか、幸せなのか、時間をかけてちゃんと考え切れていたことは大きかったと思う。 そうじゃなかったら、自分のビジョンへ続く一本道を臆せず進むことは、きっとできていない思う。 まだ若いからか、自分と向き合う時間が多くて進捗が目に見えないことに怖くなったりする。 でも、全部整理して、未来に安心しないと走れない自分の個性だと思わないと。 だらしなくなっちゃいけない。 整理もつけずに、中途…
これから楽しいことばかりで、怖いことは少しもない。 人生をそんな「花道」のように思える時がある。 そばにいればがっかりするような人から距離を置いたり、自分への誤解を解いて俗な欲求も溶かしていく。そうやって自分という存在の輪郭をはっきりさせてきたように感じる。 結局、いろんなもので悩んだり、落ち込んだり不安に襲われるのはいつも「偽った自分」で、素直な自分でいられる時間は多幸感に満ちていて奇跡的だ。 本心では「こうしたい」「こうなりたい」と思っていることが、現実には叶わないと諦めた時から、人は自分を偽り始める。そうして環境までそれに適応し始める。気付いた時には、もう身動きが取れなくなって、もとの自…
「できる」と感覚的にでもなんでも思えたものにしか、「やりたい」とは思わない。少なくとも僕はそうだったのだな、とようやく最近になって理解した。 例えば今アイススケート未経験者の僕がトリプルアクセルを飛びたいとは思わないけど、例えばすでにダブルアクセルが飛べたとしたら話は変わってくるだろう。「トリプルアクセル飛んでみようかしら」と思うはずだし、実際の選手だってそうやってレベルを上げていくはずだ。陸上選手だって、例えば経験がなくてもなんかとりあえず走ってみてすごい結果が出て「このまま君次の大会出たら優勝できるよ!」なんて言われたら「出たい」と思うだろう。 「自分でもできる」と思った時に、ようやく興味…
デスクワークは相変わらず大っ嫌いなのだが、今日までは前回の気付きからだいぶ身体的な障害を持たずに進めてこれた感はあった。でも今日になってすごく頭痛が生じた。色々考えたのだが、どうも目の疲れを同時に覚えたので、コンタクトを外してみたらスッキリ治った。 実際には体には問題がないのに、コンタクトをつけていたせいで横になる必要が出てきてそのまま数時間休んだ挙句ただコンタクトを外すだけで済むのがオチだったなんて。もういい加減こういうことは勘弁してほしいのだが。 調べてみるとコンタクトをつけたまま長いことデスクワーク等近距離に焦点を合わせていると肩こりや頭痛が出てくるみたいだ。これはコンタクトが本来長距離…
ふと思い出して自身のポートフォリオをアップデートしていた。 CMS化していないので、情報を更新するためには毎度ソースコードを開く必要がある。 でもこれのいいところは、「ついでにここのデザインちょっと変えよっと」みたいなことができることである。 要するに情報自体も、それを表示するコードも、同じエディタ上で同じ「テキスト」として扱われていることは結構すごいことなんだという話である。 家とかもこんなふうにできたらいいんだろうなぁ.. そうこうしている間に、ますますサイトは仕上がってきたように感じる。 なかなかな手応え。こういうふうに定期的に研磨をしていくことで「自分らしさ」みたいなものが表出してくる…
かかと重心で座ったり歩いていないと、どうも目も開きづらくなる。 そうすると生産性に響いて残念… 「丹田」という位置に力が自然と入るように。 座る時もかかとはちゃんとついていないといけないらしい…げぇ…ハードル高… そういえば以前整骨院(?)の人と話した時に「ゴリラと人間の違いは、かかとをつくかどうかだ」ということを知った。 なるほど僕は人間よりはゴリラだったわけだ。 どうもデスクワークの時の姿勢というものに人間はうるさいのだが、ここまでお金をかけて環境を整え微調整していかないとすぐ体調を崩す(これは本当だから何も言えないんだけど)ということを踏ま…
Shun Muraki · 心から愛せるプロダクトも、必ずや自分で創る必要はない。
「選手はなぜ走り続けるのか。それはどこかを目指しているのではなく、ただ止まることが怖いのである」というのは面白い切り口だが、個人的には「キツいけど、でも自分は走ることがすべてだし、走ってさえいればいいような恵まれた環境にあるんだ」と思えることも同じくらい重要ではないかと思う。 おそらく「努力」というものには「身体的な努力」と「精神的な努力」のふたつがあって、多くの場合は「後悔」「劣等感」「不安」「嫉妬」「迷走」「失敗」みたいなものを乗り越えるための「精神的な努力」が先ずあって、あらゆるものに整理がついてきた時に「身体的な努力」のフェーズが「ラストスパート」のようにやってくる。「ラストスパートの…
今の自分が抱く負の感情とその原因をすべて取り除くことができると「望ましい過去の自分」に回帰する。ここでの「望ましい過去の自分」とは、それまでの人生で最も楽しかった時の自身だ。 そして「今の自分」と「望ましい過去の自分」が紙一重の人もいれば、かけ離れている人もいる。野球選手が腕を負傷したら、その腕さえ治せば「望ましい過去の自分」を取り戻せる一方で、例えばみんなが素直で純粋だった小学生の頃の「望ましい過去の自分」を、今から取り戻すことは相当に難しい。 いずれにせよ「望ましい過去の自分」がいつの自分だったかが分かるなら、構造的に、つまり生活環境を当時へ現状復帰することが、望ましい自分になるためのショ…
孤独死、みたいな話が問題視されるようになって久しいが、確かに部屋でひとりいる時の静けさといったら耐えきれないものがあって、人生で初めて「ピアノの音がほしいわ」と思った瞬間と遭遇したのが今日。 確かにクラシックっていうのは偉大だなって感じる。なんかほんと心に寄り添ってくれるだけで十分なんだなってつくづく感じる。 本とかもそうじゃない。小説を読んで共感したとて、解決策が見えなければ何も良くなってないじゃないかって思ったりしてたけれども、それはまだまだ傷が浅かった頃の話だったと分かった。 いよいよ寂しさが極まると、共感してくれる、共感できる、そういう寄り添ってくれる何かを求めてしまうのが人間で、それ…
イノベーションは既存の掛け合わせであることには理解を置いているが、もともとは小説家を目指していたこともそうだろう。 おそらく僕は、本当のゼロからスクラッチでプロダクトを創りたい。その心は「ゼロから実装する」とはちょっと違う。要するに「設計図をゼロから描きたい」のである。 「オリジナリティ」を主張する時、人は機能を追加して「他社にはこれがない」という。それが自分たちのオリジナリティであり差別化であると。 でも、そうやって「機能を増やして複雑化させてオリジナルにする」なら、既存のアイディアとはまったく似つかない「根本的にオリジナルなもの」をつくってしまってプロダクトは「究極なシンプル」にとどめる方…
いつの間にか季節は5月を迎えてしまい、そろそろ夏がやってこようとしている。 最近は相変わらず「最大可能時間をベストパフォーマンスで駆け抜けて一日を終えるには?」というイシューに向き合っていて、その足並みがかなり揃ってきたことを実感している。 真面目に生活習慣とかパフォーマンスのことについて考え始めたのは高校2年の夏頃で、当時「『超』がつくほどストイックな一夏を過ごしたら検証」なるものをやっていたのが懐かしい。 高校2年生は一夏でどれだけ変われるのか検証します。 「超」がつくほどストイックな一夏を過ごしたら検証の総括!(8/30, 8/31の振り返りあり) そして、最近はかなり大元の目標を達成で…