#lifestyleA Journal Edited by Shun Muraki.
「醜さは許せるが、だらしなさは絶対に許さない」 ココ・シャネルのような木にはたくさんの「名言」という果実が成っていて、こういう「言い得て妙」な言葉、ウィットに富んだフレーズを掃除機みたく片っ端から滑るようにかき集めるのが大好きな僕としても、この言葉はかなり刺さる。 ウォルト・ディズニーの「逆境に咲く花は、どの花より貴重で美しい」という言葉と言わんとしていることは同じだと思うが、前者はココ・シャネルがファッションデザイナーとして人々に何ができるか、という視点で生きていたからこそ残せた言葉だろう。 少し時期を遡れば、”シリコンバレー企業”としてブイブイ言わせるような先鋭的な…
世界で今この瞬間が一番新しい。 人それぞれ人生の目的があって、やること成すことのすべてが異なる。 それぞれにスケジュールがあって、それぞれの道を進んでいく。 このように人がそれぞれ別々の時間で生きているのが世界なわけだが、孤独というものはこの「時間」を誰とも共有していない状況をいうのではないか。 ふたりそれぞれの時間を生きているが、例えば一緒にご飯を食べている間はふたりで時間を共有しているわけだ。この時には孤独感が募ることはない。 孤独感というのは、自分の時間の中に誰もいないことを感じているのであって、であれば誰かと時間を共有していることを意識すればい…
YouTuberがテレビに出るとただの素人、という話があるが、これはちょっと筋違いかもしれない。 結局「素人」と「玄人」の違いって「情報の公開のされ具合」くらいで、結局人間知らない人をみればなんか凄そうに思えるってだけかと。 人以外でもそうだ。大抵のことは知らないから怖いだけで、意外と向き合ってみるとものすごくかわいらしいことが多い(?) 話は変わるが、作業内容自体がまったく持って面白くない時、というのはどうしてもあって、そういうものに限って長く続く。 早く立派なCOOに恵まれて偉そうに机上の空論だけ考えてるような大人になりたい。 はて現時点での効果が大きいのは… キーボードだった…
以前ONE OK ROCKのTAKAさんが「家では音楽はやらない」「そこまで音楽に興味がないのかもしれない」といったことを話している動画を観たことがあって、それが結構当時は不思議に感じられたものである。 要するに「一番好きなことをずっとやっていればいいじゃん」という価値観でいたのである。 サッカー選手はサッカーボールを蹴り続けていればいいし、自分がものづくりが好きなのであれば、それ以外は全部遮断して、プロダクト開発に専念していればいいじゃないかと。だってそれが一番好きなことなのだから。それをずっとやっていられるならそれでいいじゃないか。どうして休んだり別のことをしたりしているんだ?もうレースか…
創作意欲が上がるとラップトップ実機で開発をしたくなることがよく分かった。 で、モニターとか周辺機器もいっそのこと取り払ってしまおう。 だいぶデスク周りが寂しくなったが、今はMacBook Proが一台。それだけ。 ここに同じ高さでランプがあって、なかなかにいい具合だ。
おしとやかに内輪で好きなことを自分たちのリズムで淡々とこなすことが大好きだし、そこで作ったものやその成果で、外界との接続を感じることも大好きだ。 この「内向的な時間」と「外向的な時間」は両立することができるはずなんだが、僕たちはどうしてもこのどちらかでずっといようとする傾向があるんじゃなかろうか。 Twiceのミナが「メンバーがいるから、ひとりでいられる」ということをインタビューで話していて、これにはとても共感できる。 人間は社会的な生き物だから、繋がりを感じられることはとても大切なこと。でもずっと人といては自分を失ってしまったり、本当に大切なものを見失うことがある。 僕は自分にとって一番大切…
朝起きてから、自分のチューニングをするためのリストに目を通すようにしている。 何をどう考えるべきだとかどう捉えるべきだとか、何を考えるべきだとか。そういう自分が生きやすくなるポジションにマインドをセットしてあげることを頭に持ってくるとすごくいい。 最近どこか夢うつつで、何から手をつけていいのか、自分はどうしたいのか、といったことが見えなくなって呆然としている時間が結構生じて、これがとても厄介。 テストの問題を配られても意識がついてこなくて問題用紙に目がいかない時の感覚に近い。 こういう時は、自分がやらなくちゃいけないこと(それはつまり好きなことなわけだが)の原風景というか、自分が好きなことをし…
強いて言えば僕が悪いんだけど…、という話。 僕は自分が思うに、昔から「これやりたい」「実現したい」と思うことについてとことん向き合って方法を考えたりトライアンドエラーを繰り返すような経験が人よりも多いと思う。 そのひとつひとつがセンスのあるものであったかと聞かれたら首を傾げることの方が多いけれど、それでも「自分がこうありたい」と思ったり「こうしたい」と思ったことに対しては、素直に現実を見つめつつしっかりポジティブに折り合いをつけるような努力をしてきたように自覚している。 ただし、いつも発生するのは、時間が有限であるがゆえに「本来やっているはずのこと」に手が回らなくなる問題。 本質か…
最近の村木の作業スペースは、文字通りシンプルを極めている。 MacBook Proに一台モニターを繋いで、操作は全部ラップトップ上で完結する。 ラップトップを立てかけるようなスタンドもないし、iPadもないし、Magic Mouseもなければ愛機のIQUNIXのキーボードだって取り払ってしまう。 しかし、何も作業に支障は出ないし、むしろこっちの方がずっと好みである。 いわゆる「ガジェット好き」な人たちをみていると、周辺機器の数と作業効率は比例関係にあると思いがちである。 でも実際どうだったかと振り返れば、どうも「作業する環境」に意識がいく分「作業する内容」にはそこまで集中できていなかったような…
最近貧血気味でちょっとまずいような気がしていた。 あからさまにかつおのたたきをまとめ買いして積極的に鉄分を増やしにいったりと妙なことをしていた数日間だったのだが、ふと「部屋が暗いせいで心が晴れないのでは?」と思い立ち、カーテンをがっさり開放。セミの声が舞い込んでくる。 すると、すーーーーっと身体の悪いものが抜けていくような気がして、まんまと元気になった。 「日照不足」という話らしく、国によってはだいぶこれが社会問題になるそう(SADになる人が増えて…等々)。 だいぶ7月は心が落ち込んでいたこともあって(というよりは現実を見つめて冷静に動けるよう徹していた)ため、部屋はずっと閉め切っ…
久しぶりに内省の時間を設けようと思った。 大学受験の兼ね合いで、去年の7月から年末までの間に心が落ち着くことはなく、ずっと何かしらの形をした不安に忙殺される毎日が続いていた。そのため急性のストレスは慢性化して蓄積を進め、受験自体がひと段落着いた頃には、僕はかなり精神的に疲弊し切っていたように記憶している。