#essayA Journal Edited by Shun Muraki.
ひとことで言うなら「メリハリがないからよどむんだろ」という。 「なんでも発信できる」という時代の変化から、ちょっと努力してすぐに報われようとしたり、少しの凝り具合ですぐに成果物を出しちゃう風潮が蔓延していて、それが日本(他の国はどうなんだろう)の謎の”よどみ”を助長しているんじゃないかと思う。 誰しも子供の頃は「隠れて練習する」とか「人に言わないでこっそりやる」みたいなことが「かっこよさ」だったと思うのだが、なんというか大人になる過程で、また今の時世も相まって、その「かっこよさ」の価値基準が変わっていくんだと思う。 もちろん「彼は頑張っている」ということが人に知れること…
※日記に書いた乱文をついでにと思ってコピペします。 それまでは小説だったよね。本当に目指してたな。そう、小3からエラゴンで世界にいけることを知ってたからね。 その頃から村木少年は世界を意識し始めた。そして、時期を意識し始めたのが中学2、3年の頃。そして時期を優先して小説から起業へ。この時だって「なんだこっちの方が世界早くいけるやん!楽しそうだし!あの頃みたい!」ってなったからで。それまでは小説くらいしか作れないって思ってたけど。サービスからメディアを通ってデザインスタジオからプラットフォーム、最後にプロダクトへ行き着く。これが本当にやりたいことだ、と。そしてビジョンはますます具体的になっていっ…
月が端から欠けていこうが真ん中に穴を開けようが目もくれず、夜もしきりにプログラムを書いていたのは僕だが、Twitterなんかを見てみると、結構な人が月に関心があるものだと意外に感じた。 現実に辟易しているのか、空を見上げてしまうほどに満たされているのか。 自分から見える月を写真に収め、自分のもとにも、誰かの月が流れてくる。 人が繋がりを感じるために、派手なエンターテイメントは必要ないのかもしれない。 ふとそんなことを思った。 変に宣伝を煽ることも、騒ぎ立てることもなく。ただ夜の空に浮かんでいるだけで、地上の僕たちを繋いでくれる存在だと考えれば、月というのはなかなか。 何かを「する」のではなく、…
これから楽しいことばかりで、怖いことは少しもない。 人生をそんな「花道」のように思える時がある。 そばにいればがっかりするような人から距離を置いたり、自分への誤解を解いて俗な欲求も溶かしていく。そうやって自分という存在の輪郭をはっきりさせてきたように感じる。 結局、いろんなもので悩んだり、落ち込んだり不安に襲われるのはいつも「偽った自分」で、素直な自分でいられる時間は多幸感に満ちていて奇跡的だ。 本心では「こうしたい」「こうなりたい」と思っていることが、現実には叶わないと諦めた時から、人は自分を偽り始める。そうして環境までそれに適応し始める。気付いた時には、もう身動きが取れなくなって、もとの自…
人と関わるから自分の理想を見失う。理想を分かっていても、周りの影響で崩れていくことだって多い。だからこそ、ひとりになって、計画を立てる。そして淡々と実行をする。 そして、モチベーションが切れたらちゃんと立ち止まる。それが自身の理想の解像度を高めたり、理想との向き合い方を学ぶ機会となる。これを重ねるたびに自分が成長したり変化して、また理想の方から変わっていくことだってある。 人生はこうやって「”その瞬間の現実”(スタート地点)・”その瞬間の理想”(ゴール地点)レース」を無限に仕切り直して繰り返す。目的地を変えながら、走り方を変えながら、移動した総距離や軌跡が「その人の人生」になる。 しかし、こう…
ごめんなさい やっぱり約束は守れない でも勘違いしないでほしい あなたたちのことが嫌いなわけじゃないの ただ もっと惹かれる場所を見つけただけよ 華やかで 自分らしく生きられる みんな向上心があって 情熱に満ちている そんな場所 素敵でしょう 少しここからは距離があって でも必ず お土産を持って戻ってくるわ そう アイスのように溶けてしまうものではダメね そうじゃないものを探してくる でもそれで喜んでもらえるか 自信はない &n…
最近はインターネットのどの場所を切り取っても、軽佻浮薄な弁論が「議論が交わされないまま」で飛び交っていて辟易としてしまう。 とか言っておきながら、結局僕だって好き勝手このブログには思い付きを片っ端からアップロードしているわけで。要は別に誰も端から「議論を交わそう」などしていないわけである。 だから「うぉおおおなんかみんないろんなことを考えているのね素敵!ふふふ」くらいが正しい受け止め方なんだろう。 久しぶりにマイケル・ジャクソンの「They don’t care about us」を聴いて、今の世界が真っ向から責められているように感じて驚いた。結局人は変わらないし、ニュータイプなん…
「私たちのクライアントにはこーーーーーんな企業様が並びます!」という胸の張り方はお金を払ってでもしたくない。 じゃあ実体はなんだ?見せてみろと言ってしまいたくなる。 巨人の肩の上に乗って「高いだろ」なんて、なんと惨めな…. ばかと煙は高いところに上る。 人生は一度きりだ。 地に足がついた巨人にならなきゃ意味がない。 誰かのコンテンツやプロダクトが更新されるまで果報を寝て待ち、自分の頭からは何も捻り出せないようなメディア人だって同じように嫌いだ。 まぁいい。時間は人に等しく与えられるものだから。彼らは自分の時間という財産をドブに捨て続けていることに気が付いていないだけだし、それに気付…
「やりたいこと」とか「理想像」とか「ありたい姿」とか「好きなこと」とか「自分探し」とか「モチベーション」とか「自己実現」とか。こういう大衆が共有する人生の命題みたいなものについて、人間は一言で整理したがる傾向にあると思う。そして僕もここに含まれるわけだが、最近になって綺麗に言語化できたなと久しぶりに思えたことがあって。 「幸せとは?」という問いに対して、答えは一言「理想に忠実であること」だと思うのである。 「やりたいことをするためにやりたくないことを必死にするんだよ!」とか「なりたい姿から逆算して…」とか「理想像を浮かべてモチベーションを高めて…」とか、まぁ色々なことを…
ふとして抱いたアイディアが、実はそれが国際的に重大なもので、その人は牢屋に押し込まれてしまう。 他者への復讐心を灯しながら、巌窟の中で出会った数人とともに、頭にあるアイディアを実現しようとする。 このアイディアが自分をここまで追いやったが、ここから出るためには、このアイディアが必要なんだ、と。 数年の孤独な時間が走り、ようやくアイディアが形になると、それが世の中に解き放たれると同時に、自らも牢獄から解放される。 そして、その時には莫大な資産が築かれている。 今日も汝の道を進もう。
強いて言えば僕が悪いんだけど…、という話。 僕は自分が思うに、昔から「これやりたい」「実現したい」と思うことについてとことん向き合って方法を考えたりトライアンドエラーを繰り返すような経験が人よりも多いと思う。 そのひとつひとつがセンスのあるものであったかと聞かれたら首を傾げることの方が多いけれど、それでも「自分がこうありたい」と思ったり「こうしたい」と思ったことに対しては、素直に現実を見つめつつしっかりポジティブに折り合いをつけるような努力をしてきたように自覚している。 ただし、いつも発生するのは、時間が有限であるがゆえに「本来やっているはずのこと」に手が回らなくなる問題。 本質か…
どんな夢想主義者も現実を生きている。 現実世界に着手し、現実に生きる人と関わる。 そうしていくといつの間にか「夢」が小さく萎んでしまう。 けれど、性根は夢みる瞳であるがゆえに、未来が見窄らしく思えて辛くなる。 現実世界を生きなくちゃいけない。 現実をキャンバスに、夢を描かなきゃいけない。 それは本当に刺激的で充実そのものだけど、しかして視野を広く保ち続けることも難しい。 いつもふと手がとまった時に振り返って、いつの間にか夢とたもとをわかっていたことに気付く。 そしていつも夢の跡をさまよい「自分のものだとは思えないもの」を探す。 寄り添えなかった夢。 そ…
SNSと触れている時間が嫌いでたまらなくなってから久しいが、最近はヘッドホンをつけるのも”なぜか”すごい不快感を覚える。 UGCを試聴している時間も、そうしている自分もすごく嫌だし… 等々。 ノイズキャンセリングのヘッドフォンで人工のホワイトノイズなんか再生し始めたら終わりだ。 そうか君は地に足つけて生きていたいんだね、ということは最近よく分かってきた。 スマートフォンも近くに置いていたくないし、通知なんてとんでもない。 スマホを触っている人の様子や、毎日のほとんどをSNSで過ごすような人も、見かければそういう人がいるんだ、というだけで嫌になるし、自分はより…
「理想的な将来の自分」から逆算して定まる「理想的な今の自分」の一部が「実感(根源的な本能の欲求を含む)」として恒久的に作用し、この外的な動機付けが、実感を伴い難い「理想的な将来の自分」への自覚を促し、ここで初めて「理想的な今の自分」の全部(理想的な将来を追求する理想的な今の自分)の体現は目指される。
久しぶりに内省の時間を設けようと思った。 大学受験の兼ね合いで、去年の7月から年末までの間に心が落ち着くことはなく、ずっと何かしらの形をした不安に忙殺される毎日が続いていた。そのため急性のストレスは慢性化して蓄積を進め、受験自体がひと段落着いた頃には、僕はかなり精神的に疲弊し切っていたように記憶している。
最近、極端に悲しくなることが増えた。 そういう時期なんだろうか。 落ち着かない。 感情が抜けていて、でもそんな”感じ”はする。 変わらない毎日。 人は一体何をしてるのだろうか。 前に進むことは難しい。 でも、前に進んでいかないと外に出られなくなるような気がして怖い。 怯えながら、暗闇を進む。ただ、進む。
大抵の「やりたいことがない人」を、僕はあまり好きになれない。別にその人を責めているわけではなく、単純に「分かり合えることが少ないから」というのがその理由である。 この世界は、人が思うほど捨てたものじゃなくって、それなりに興味を持って向き合えば、そこそこに自分を魅了するもので溢れている。実際に、それが人を行動させて、気付いたら「やりたいこと」になっていることがほとんどなわけだが、要するに「やりたいことがない人」は「あらゆることにそれなりの興味を持とうとしていない人」であるように思えてならない。