ひとことで言うなら「メリハリがないからよどむんだろ」という。
「なんでも発信できる」という時代の変化から、ちょっと努力してすぐに報われようとしたり、少しの凝り具合ですぐに成果物を出しちゃう風潮が蔓延していて、それが日本(他の国はどうなんだろう)の謎の”よどみ”を助長しているんじゃないかと思う。
誰しも子供の頃は「隠れて練習する」とか「人に言わないでこっそりやる」みたいなことが「かっこよさ」だったと思うのだが、なんというか大人になる過程で、また今の時世も相まって、その「かっこよさ」の価値基準が変わっていくんだと思う。
もちろん「彼は頑張っている」ということが人に知れることは大事なわけだけど、それが「僕は頑張っています!」「本当だ!君は頑張っている!」というインタラクションを必要とするならそれはまだ時期早々なんだと思う。要するに本来の「かっこよさ」を獲得しようと思ったら「圧倒的な結果を着々と出しててそれは否定できないんだけど、でも絶対そのことについて言及しないやつ」になる必要があって、それは今の時代で言えば「明らかに結果を出していることはSNSやニュースで周知の事実になってるんだけど、でも本人が自分の意思でメディアに出たり、自ら槍玉に上がるようなことはしない」ような人。
その実、社会では表に立って人に注目されている時間が気持ち良くなってしまって、本来の目的を見失ったり、対して潜っていられない(人目につかないところで物事を突き詰められない)ような「すぐに息つぎする人」が大量発生しているし、元々はそうじゃなかった人も、そうなっていってしまうような構造が出来上がっている。視座がどんどん下がっていく。
そして何より残念なのは、そういった「大した頑張りができなくて一定期間表で騒ぎまくる人たち」の紙芝居を見続けていると、子供たちの「憧れ」までねじ曲がっていってしまうことだと思う。実際YouTuberになりたいと思う子供が増えているし。
でもどうなんだろう。まずやる気がない人たちは論外としても、やる気がある人が揃って「ちょっと頑張ってはすぐにみんながいる場所に戻って、なんならプロセスまで人に見せたりして、人生の一瞬の間だけ馬鹿騒ぎして去っていく」というフレームワークにはまっていくとしたら、もう二度とマイケル・ジャクソンは出てこないし、何より「陰で死ぬほど努力する」という、人間の歴史で一番大切な時間がどんどん消えていくんじゃないだろうか。
そうやって部屋の灯りがひとつずつ消えて、あたりはすっかり暗くなって、煌々としているのは無機質なコンビニのLEDばかりで。それこそが今の”よどみ”なんじゃないか。
というわけで、僕はたくさん結果を出すためにたくさん努力するけど、その一部始終を頑なに全部隠すやつになってみようと思う。明らかな結果を出すのでメディアに書かれることはあっても、自分からインタビューを受けたり、対談に参加したりすることは絶対にしない。陰で努力するのがかっこいいと思っている、そういう子供の頃の価値観を引きずっているやつになろうと思う。
そして、そういう人が増えていくと、だんだん「ちょっと頑張ったら、すぐに返ってきて対談とかしちゃう人たち」とのコントラストが浮かび上がってきて、最終的には「え、もっと結果出している人たちは黙って努力してるのに、こいつら大したこともしてないのに対談とかしてドキュメンタリーとか作ってるやん えぇ ださーー しかもクオリティーひくーー いやもっと作り込めよ」みたいな冷ややかな目線を人々が持つようになるはず。そうなったら結構いいラインだと思う。分かりやすい時代の変わり目ができるとしたらそこだ。
問題は誰が今の密室に風穴を開けるか。
「やっぱり『ドクターX』の大門未知子が世界で一番かっこいいし、マイケル・ジャクソンが一番偉大なんだ」
そういう価値観で生きてきた僕としては、ぜひやってみたいプロジェクトだ。そして、そもそもこういう思いつきの未来予測を人前で偉そうに語って気持ちよくなっちゃう大量の論客の中で、実際にそれを実行したり、体現できる人は限られていて、まだ年齢の若い僕なら、自分の仮説には自分で手を打っていけるんだ。
Written by Shun Muraki. Thank you.