※日記に書いた乱文をついでにと思ってコピペします。
それまでは小説だったよね。本当に目指してたな。そう、小3からエラゴンで世界にいけることを知ってたからね。
その頃から村木少年は世界を意識し始めた。そして、時期を意識し始めたのが中学2、3年の頃。そして時期を優先して小説から起業へ。この時だって「なんだこっちの方が世界早くいけるやん!楽しそうだし!あの頃みたい!」ってなったからで。それまでは小説くらいしか作れないって思ってたけど。サービスからメディアを通ってデザインスタジオからプラットフォーム、最後にプロダクトへ行き着く。これが本当にやりたいことだ、と。そしてビジョンはますます具体的になっていって、いつの間にか「絶対にこれがやりたい、これ以外はあり得ない」というくらいにまで「やりたいこと」が洗練されていったんだ。
スピードが世界にいくために大事なんだってことで中学生起業家になろうって考えたのが最初なわけだから、もうその時点でやっぱり「世界の中心にいきたい」ってことは強く思ってたわけだよね。小説を書いている頃から「早く」とは思っていたわけだ。
結論、どうしていままで品を変えながら続けてこれたのか。それは「指数関数的に、最初はゆったり見えない中を彷徨いながら『世界の中心に行きたいんだ』ってわかって、そして「中学生起業家」というチャンスを得たことから、起業関連を続けて、ようやく『若い方が世界の中心に行きやすい』というバイアスの中でものすごいスピードでテストを繰り返して、あまり響かなかったものについてはすぐにやめてしまって、プラットフォームじゃ嫌だ、とか色々考えながら最終的に彷徨う中で「プロダクトが作りたいんだ」って気づけた」って感じか。書くとしたら。
なので「どうしても若いうちから世界の中心にいたい」という「コア」が見つかったこと。「若く起業する」という選択肢を獲得したこと。この2つが大きかったのかなって思う。
なんかわかんないけど「どうしても中心にいたい」がコアだったこと。これがすべてだろうね。小説家から起業家に生き方まで変えたしね。そうね、根っこはそこからだった😂
中心にいきたいのに小説は書ききれない。多分これじゃない、え、起業ってなにそれ、みたいな感じだよね。
でもこの時の「中心」は「世界」とかじゃなくて「学校」とか「自分の生活で関わるコミュニティ」くらいの認識だったように思う。
学校で成績が取れない、定期考査が面倒、もっと自由にやりたい。
天才中学生小説家になろうって頑張るけど、全然うまくいかない。
→起業!!! みたいな感じだったか。
絶対にこの道だって思ったんだよね。多分「世間」が自分を評価してくれるって思ったんだろう。
「絶対に高校生起業家として有名になる」→なれなかったけどおかげでビジョンが具体的になった。
そして、初めて世界の中心が分からなくなって、それを「世界」としたのが大学生くらいから。
で、世界に行こうとか、会社よりプロダクトだ、とかなっていった。中心にいたい気持ちはずっとあって(年中の頃から)、でも根本的なそれが消えたんだよね。結構ビジョンを組み立てるのには苦労したね。
「絶対に中心にいたい」という隠しコマンドが働いて、ますます起業家としてのビジョンを洗練させていった。
それがなかったら、まただいぶ彷徨っていたと思う。プロダクトで貢献したいんだってことも気づくのにもっと時間をかけていたように思う。
もちろん起業家として偉大になりたいとはぼんやり思っていたけれど、それだってあくまで「学校の中心にいるため」だったわけだから。
「その時絶対にしたかったこと」の積み重ねが人生なんだね。
どうしても中心にいたくて、高校を卒業しちゃってもそれは残っちゃったから「世界」の中心にいくしかなくなったわけ。じゃないと虚しくて苦しくなるから。
そしてその時にはもう、起業周辺で「やりたいこと」がだいぶ具体的に見つかっていた。だからそれらをうまく合わせて、満足のいくビジョンを描いたよ。
世界にいくためには若い必要があって、そしてそのタイミングでやりたいことの具体例としてのNataiveを持っていた「ただの奇跡」。
きっとNativeがなかったとしても、世界の中心を目指し続けたと思う。じゃないと毎日が息苦しいから。そして、その方法は「プロダクトを作ること」だったと思う。つまりはそういうことなんだ。
結論: 直感的にやりたいと思ったことをやるのは結構難しい。なぜならそれを達成したり、上達させるまでが地味で退屈で、そんなことをしてまでやりたいとは思わないから。しかもそもそもそんなに急ぐ必要もないし。じゃあやりたいことができる時とはどんなケースか。それは「直感的にやりたいと思ったことが結構簡単な時」と「他に物足りなさを感じていることがあって、それを穴埋めするために続けていた結果、直感的だったものが具体性を増して、本当にやりたいことが見つかるケース」の2つ。大事なことは、今の生活に不満や不足を感じていないと、直感的にやりたいと思ったことを続けるのは難しいってこと。そして、その物足りなさを早く補いたい、という気持ちが後押しして、手段のようにいろんな「やりたいこと」を試していく中で本当にやりたいことと出会える。本当にやりたいこと、というのはずっと続けられるもののことで、人はみんなこれを見つけたい。
僕は「小説家」になって小説をずっと書いていたいって昔から思っていたけれど、これはまだ「直感的なやりたいこと」に過ぎなかったのかもしれない。何度もプロットを書いては途中で投げ出したりを繰り返して、別に「いつ小説家としてデビューする」とか「絶対に書き上げるんだ!!」なんてマンパワーも持っていなかったと思う。
でも「学校の成績が伸びないので、別の何かで自分を認めてもらいたい」みたいなことを思うようになってから「中学生天才小説家」を目指すようになって、ここで「直感的なやりたいことを、急いで頑張る」理由を持った。でも小説家ではなかなかデビューが遠そうだ、と思っている中で「起業」という選択肢を知って、「学校の外で認めてもらいたい」という「物足りなさ」を軸に、あっけなく小説家志望から起業家志望に変わってしまう。「直感的なやりたいこと」を変えたワンシーン。
でも「高校生起業家」として世間に認めてもらうことも結構難しい。これがうまくいかないと自分の不満は解消されないので、頑張って試行錯誤を続けてみる。SNSを作ってみたり、代行サービスからマッチングサービスをしようとしてみたり、そこからアプリを作ろうとしてからフリーランスになったりしてからデザインスタジオを作ろうとしてやめて、プラットフォームを作ろうとするんだけどなんか気分が乗らずに色々形を探っていくと、結局自分は「プロダクト」を作りたくて、それはどうも「プラットフォーム」とか「サービス」とはちょっと違う、どっちかっていうと「本」みたいな、そのもので完結しているようなプロダクトが作りたいんだってわかってくる。早く結果を出さなきゃいけないのに、そのための道はすごく地味だし退屈で、だからそれを続けるには「ちゃんと自分がやりたい」って思えなきゃいけなくて、だからやめては変えて、またピンとこなくてまた変えて、、としているうちにそうなったのだ。
結局高校生起業家として名を上げることはできなかったけど、でも「プロダクトで貢献したい」という「本当にやりたいこと」を見つけられた。
そして、高校を卒業したことで「自分にとっての『中心』とはどこか」が分からなくなって、結果「世界の中心が『中心』だ」としっくりきた。
そっか、「世界の中心にいたい」というのは「やりたいこと」ではないのかもしれないね。生活するためにどうしても必要なことだったんだと思う。「世界の中心にいないと嫌だ」という不満が新しく出てきたわけだ。
「世界の中心にいないと毎日が辛い」という「物足りなさ」が僕にあって、「プロダクトで貢献したい」という軸は定まっている。
ここからじゃあ「どんなプロダクト?」「プロダクト以外にやりたいことはないの?」「プロダクトを作るだけで世界の中心にいけるの?」「世界の中心になれたとしてもそれだけで本当に満足なの?」「もっとこういうことがしたいんじゃないの?」といったことと日々向き合いながら、それでも僕は「はやく世界の中心に行きたい」ので、頑張って毎日それらに向き合い続ける。そうやってビジョンが驚くほどクリアになっていく。
そして、そのビジョンも、具体性を増していくことで「本当にやりたいこと」になっているんだ。
「直感的にやりたいこと」はなかなか続かないし、だから結果も出ない。いやいや、結果を出してくれないと困る。うーん、「本当にやりたいこと」じゃないと頑張れないんだよ。でも頑張れないのは困る。だって早く結果を出して、この物足りなさを解消してほしいのだから、と。物足りなさに鼓舞され続けて「直感的なやりたいこと」をたくさん試す中で「本当にやりたいこと」が見えてくる。
物足りないことが大きいほど、本当にやりたいことをたくさん、より具体的に見つけられる。大きい穴を埋めるために必死で、狂ったように「直感的にやりたいこと」を試しまくるから。
この前提に立つなら、もしかしたら「やりたいことがたくさんできる人」というのは「ものすごく怠惰だが心に大きな穴を負っている人」なのかもしれない。
Written by Shun Muraki. Thank you.