ココ・シャネルについてもっと知りたい。

2022.10.23

「醜さは許せるが、だらしなさは絶対に許さない」

ココ・シャネルのような木にはたくさんの「名言」という果実が成っていて、こういう「言い得て妙」な言葉、ウィットに富んだフレーズを掃除機みたく片っ端から滑るようにかき集めるのが大好きな僕としても、この言葉はかなり刺さる。

ウォルト・ディズニーの「逆境に咲く花は、どの花より貴重で美しい」という言葉と言わんとしていることは同じだと思うが、前者はココ・シャネルがファッションデザイナーとして人々に何ができるか、という視点で生きていたからこそ残せた言葉だろう。

少し時期を遡れば、”シリコンバレー企業”としてブイブイ言わせるような先鋭的な若い起業家たちは、仕事でもプライベートであっても、シーンによらずラフな格好で統一するのを好んでいたと思う。個人的にも「ビジネス」なる謎の格式張ったものに土足で突っ込んでいって実力で蹴散らすアバンギャルドな感じは嫌いじゃないのだが、ただどうだろう。この姿勢は「醜さ」か「だらしなさ」かでいえば後者に当てはまるようにも思えてくる。

例えばハイブランドの経営陣がパーカーやスウェットで表に立つようなことがあれば、それはその人自身の満足が自社のブランドに傷をつけることにもなりかねない。当然そんな人を見たことはないし、みんな揃いも揃ってスーツをビシッと決めてくる。
要するに「プライベートの延長でビジネス界を揺るがしてやろうぜ」という”シリコンバレー”という文化は、ある側面では「諦め」でもあったわけである。
自分たちはIT企業だ、ビッグテックになるんだ。別にブランドなんぞ後付けできた分で満足するし、ファッションとかブランドとか、そんなものはくだらねぇ!と冷笑する感じがパーカーの裾から滴っているようにみえなくもない。

この辺りの話はそれぞれの方向性に大きく左右されることなので、全く持って意味のある言説にはならないけれど、でも「じゃあ自分はどうするか」を考えることは大切だろう。

まず若いうちから社会に大きく貢献しようという姿勢でいようと思ったら、会社の方向性によらず、最初のうちは仕事とプライベートをあらゆる選択によってざっくり分けてしまう方が良さそうだ。仕事をしているんですよ、という間はスーツでもなんでも、「だらしな」くない身なりをしたり。個人的にメディアに出てキャピキャピしたいという欲求がつのっても、ここは堪えて、会社として必要な場面ではちゃんと会社の人間として表に出る。
よくわからないけど、まぁこんな要領でとにかく「徹底して公私混同を避ける」というのが、特に若いうちは色眼鏡で見られやすいがゆえ大切になりそうだ。

プライベートでは取り繕ったりせずに、ラフな格好でだらしなくてもいいんじゃないかと今は思っているのだが、こうやって仕事とプライベートの関係性を捉えていくと、ますます確信的に感じられてくるのは「『ドクターX』の大門未知子というコンセプトは、ココ・シャネルの理念の体現だったのでは?」という憶測である。
医者として正しい服装かは別として、シャネル風に言えば「エレガンス」に身をまとって病棟をカツカツ歩き回っているかと思えば、家に帰ると急にパジャマのような格好で麻雀に興じる。ビジュアルもキャラクターも極端なこの二面性が交互に現れてひとつのドラマになるわけだが、不思議なのはこの視聴体験に全く違和感が残らないこと。

「晶さんお金貸して〜〜」とせがむ割には、おひとりファッションショーでもしているのかという姿で病院に現れる。このようなまったく非現実的な設定でもストーリーを楽しめるのはきっと、僕の考えでは「仕事とプライベートでビジュアルやキャラクターの全部を切り替えている」ことにあるじゃあなかろうか。

これまでも「躊躇せず、望むように徹底的に切り替えることをすると、むしろ少しの違和感も残さず『ココ・シャネル』や『大門未知子』のような唯一無二のアイコンを形成する」という気づきはあったものの、ここに「だらしなさ」という基準を持てたことは、「自分はどうするか」を考える上でかなり解像度を高めてくれたと思う。

ココ・シャネル、恐るべし。

Written by Shun Muraki. Thank you.