理想を叶えることが目的になってはいけない。現実を理想的なものにしていくのだ。

2022.10.04

人と関わるから自分の理想を見失う。理想を分かっていても、周りの影響で崩れていくことだって多い。だからこそ、ひとりになって、計画を立てる。そして淡々と実行をする。

そして、モチベーションが切れたらちゃんと立ち止まる。それが自身の理想の解像度を高めたり、理想との向き合い方を学ぶ機会となる。これを重ねるたびに自分が成長したり変化して、また理想の方から変わっていくことだってある。

人生はこうやって「”その瞬間の現実”(スタート地点)・”その瞬間の理想”(ゴール地点)レース」を無限に仕切り直して繰り返す。目的地を変えながら、走り方を変えながら、移動した総距離や軌跡が「その人の人生」になる。

しかし、こう考えていくと思うことは「じゃあゴールすることの意味は?」という疑問。毎回レースを仕切り直して、それでゴールできたとして、じゃあそのゴールとは何を意味するのか。なぜゴールすることが大事なんだ?

こうして「理想を叶えようとするのはどうして?」と色々考えていったが、結局のところは「理想を叶えることが目的になってはいけない」という結論に至った。別に「ゴールしたかどうか」の数など意味を持たず、あるのはただ「現実がどれくらい理想的になったか」ということだけなのだ。
考えてみれば当たり前だ。けれどあまりに理想に執着しすぎていたがゆえに、いつの間にか「それが実現するかどうか」ばかりに意識が張り詰めてしまっていた。

「叶えた夢の数で競おう選手権」が開催された時に、ようやく「夢や理想を叶えた(ゴールした)事実」に価値が生まれる。それくらい、理想を叶えることを目的化することは意味のないことだというわけだ。当然ながら「自分の理想に対してどれくらいのボリュームを実現できたか」という数値だって同じように意味を持たない。

今より生活をもっと楽しくしたい。もっと人生を豊かにしたい。こういった「今こうだったらいいのに」という思いに従うことがすべてで、だからどんな理想だって「アイスが食べたいからコンビニに行こう」と性質は一緒なのだ。たまたまその理想を叶えるのに長い時間を要するだけで、別に「数年後にそうなっていたい」とかでもない。「もっとこういう現実だったらいいのに」を現実にするために数年かかった、というのが正しい捉え方で、これが「アイス食べたい」だったらコンビニまでの往復10分とかで済むというだけの話だ。

理想を叶えることが目的になってはいけない。現実を理想的なものにしていくのだ。

ひとことでまとめればこうだ。

「何歳になったらこれがしたい」という理想だってもちろん考えられるけれど、それはかなり稀有だと思う。僕にも「42歳になったらこれを始めよう」という人生プランはある。
けれど多くの場合「いつかこれがしたい」と思っていることは本当は「今したいこと」で、「数年後に実現できた理想」は「数年前の理想」だと思う。ここを混同しちゃいけない。

具体的に僕の話でいえば、「ファンタスティックなプロダクトを創りたい」も「大企業のCEOになりたい」も、今この瞬間の「現実がそうだったらいいのに」だ。でも前者にはあと数ヶ月、後者にはあと十数年、数十年かかる。でも今そうであってほしいと思うから、「現実を理想的なものにしていこう」と今日も努力する。そういうあらましなのだ。

なんだかホリエモンが昔観た動画で言っていたことが、今になってよく分かった気がする。

Written by Shun Muraki. Thank you.