2022.08.09

エッセイ

理想に忠実であれ

「やりたいこと」とか「理想像」とか「ありたい姿」とか「好きなこと」とか「自分探し」とか「モチベーション」とか「自己実現」とか。こういう大衆が共有する人生の命題みたいなものについて、人間は一言で整理したがる傾向にあると思う。そして僕もここに含まれるわけだが、最近になって綺麗に言語化できたなと久しぶりに思えたことがあって。

「幸せとは?」という問いに対して、答えは一言「理想に忠実であること」だと思うのである。

「やりたいことをするためにやりたくないことを必死にするんだよ!」とか「なりたい姿から逆算して…」とか「理想像を浮かべてモチベーションを高めて…」とか、まぁ色々なことを考えるが。

結局「道半ば」の自分を「許してあげたい」のが僕たちであって、要するに今この瞬間を切り取った時に「自分は正しいんだ!」と言えたらハッピーなんだと思う。言い換えれば夢が叶うかどうかはそこまで大事な話ではなくて、ただ夢に向かって努力しているかどうか、夢が少しずつ実現してきているかどうか、それを今この瞬間という断片を診た時に「Yes」と答えられることが最重要であり、これこそが「幸せ」である。

とまぁここまではだいぶ早い頃に整理できていたが、例えば「理想へ向かう道を歩いているわけでもないし根拠はないけれど、どうしてもやらなくちゃいけないこと」とかがあった時に、だいぶリズムが崩れる。なぜなら「理想に向かっている」「理想の道半ばである」とは捉えづらいからだ。そうすると幸せ!とは思いづらい。

でもこれを「理想に忠実かどうか」と言い換えてみたらどうだろう。
「どうしてもやらなくちゃいけないこと」を終わらせて、理想へ続く道に戻ろうとしている今この瞬間の自分は理想に忠実だな、と思えて、それはつまり「今この瞬間の自分を満たすこと」なんじゃないかな。

まとめれば、今この瞬間の幸せを感じられないことにはたっくさん本当にいろんな複雑な理由だったり要因があるんだけれど、総じて「理想に忠実であるか」を自分に問うてあげてそれを「Yes」であると思える、もしくは「Yes」と言えるようにすることで、大概の場合は満たされると思う。

P.S.

ちなみに、この「理想」を定めることができないケースも多いように思う。一度現実から離れて自分に素直になってからもう一度現実に戻ってくれば、自ずとやるべきことは見えるはずなんだけど、でもそういうことができない人が社会では育ちすぎているんだと思う。
幸せを定義する時に「理想に忠実であること」と言い張るのは、つまるところ限定的かもしれない。何故ならこの理論は「理想ありき」だからである。理想がなかったり、理想に忠実であるとはどういうことなのかがよく分からない、ピンとこない人というのはなかなか苦しい。

村木 瞬Shun Muraki
Web Designer

Neutral between linear and non-linear.

デジタルメディアのフォーマット
「Linear Native」について研究。

テーマは”リニアとノンリニアのニュートラル”