2022.08.24

モダン白雪姫

「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」

 

有名な一節だが、鏡からすればいい迷惑である。「知らねぇよ」と思ってるんじゃないだろうか。顔を近づけてそんなことを聞かれたら、誰だって気を遣って「あなたです」と言わざるを得ない。もしくは「どんだけおこがましいんだよこいつ」と気が引けて閉口するかだ。

 

ただ、最近になって蜷川実花の「ヘルタースケルター」を観て、その捉え方が変わった。

自分より年下で魅力のあるモデルが脚光を浴び始めたことで精神が蝕まれて主人公が路頭に迷うシーンがあるのだが、そこで彼女は通りの店の鏡に向かって、同じフレーズを繰り返すのである。

正直に言えば、ひとりの女性の転落劇がそれまでかなり現実的なタッチで描かれていたのに、唐突に白雪姫が出てきちゃったことに対してギョッとした部分があったのだが、ただふと振り返った時に、これはなかなかに粋なアートだったのだと気が付いた。

 

その主人公は、自分が一番綺麗で、世間から一番の注目を浴びていないと心が満たされない。でも問題は、自分は世間の人々を誰も知らなかったと言うこと。よって少しでも不安が募れば、彼女は自分のことを深く理解してくれていると思える身近な人へ狂気的に自分が綺麗かどうかを問い詰める。

でもある時、その若手のモデルが頭角を現し始め、主人公もその人のことを知ることになる。そして、ここで一番の問題が生じる。それは、主人公自身が、その若手のモデルの方が自分より綺麗であると内心で気付いてしまったことだった。自分の本心がそうなってしまえば、もう誰の言葉も耳に届かなくなって、とうとう彼女は人間としてもモデルとしても、崩壊の一途をたどり始める。

 

そこでくるのが「鏡よ鏡」ゾーンなわけだ。お分かり頂けるか分からないが、要するに鏡に自分が美しいかどうかを問うてしまうような人は、最後の砦に縋っているのである。

他人は自分より美しい人を見つけ、自分まで他人が一番美しいと思ってしまった。でも自分が一番だと信じていたいから、最後は公正な評価を求める。「世界で最も美しい顔ランキング」で一位を取れば、誰の主観でもない、オフィシャルな「一番綺麗な人」になれて、自信を取り戻せると思ったのだろう。

 

… でも、劇中でも鏡が応えることはなかった。

そう、この世に「一番綺麗な人」を決定する方程式はないのである。なぜなら、「何を綺麗だと思うか」は「人による」からだ。

 

結局まとめるなら、この世で一番綺麗になることは、まだ手段に過ぎない。本気でそうなりたいと思う、その先の展開を待っている。

この世で一番綺麗になって、自分が一番魅力的だと思える人と結ばれたい。そう思っているのかもしれない。不特定多数を相手にする時間がどれだけ人生を占めていても、結局それらの努力は身近な人との閉じた関係性に向けられている。

しかし、たとえこの世で一番綺麗になれたと思えていても、結局好意を抱くその相手が、それを「綺麗」だと思うかは別の話なのだ。

 

好きな相手に自分が綺麗かを問うなんて端なくって忍びない。だからSNSという鏡に自分を映じて「いいね!」を求める。自分が一番綺麗だと思えるまで数字を数えて、潮時が来たらようやく好きな相手へ振り返ることができる。だって自分は一番綺麗なんだから。

村木 瞬Shun Muraki
Web Designer

Neutral between linear and non-linear.

デジタルメディアのフォーマット
「Linear Native」について研究。

テーマは”リニアとノンリニアのニュートラル”