2022.07.24

ライフスタイル

マウスもキーボードも、外付けのハードは全部要らないんじゃないか?

最近の村木の作業スペースは、文字通りシンプルを極めている。
MacBook Proに一台モニターを繋いで、操作は全部ラップトップ上で完結する。

ラップトップを立てかけるようなスタンドもないし、iPadもないし、Magic Mouseもなければ愛機のIQUNIXのキーボードだって取り払ってしまう。
しかし、何も作業に支障は出ないし、むしろこっちの方がずっと好みである。

いわゆる「ガジェット好き」な人たちをみていると、周辺機器の数と作業効率は比例関係にあると思いがちである。
でも実際どうだったかと振り返れば、どうも「作業する環境」に意識がいく分「作業する内容」にはそこまで集中できていなかったような感がある。

こういった「ミニマリスト」的なバリューを志向するようになったきっかけは、おそらくNetflixの『ビル・ゲイツ 天才の頭の中』だったと思う。3部作で成るこのドキュメンタリーのひとシーンで、ビル・ゲイツがレイクサイドでひたすらラップトップで作業し続ける様子(タイムラプス?)があって、こういうのをみると「手元にしっかり作業するスペースがあること」に結構重要性を覚えるものである。

要するにモニターとかに繋げてラップトップはスタンド上へ棚に上げてしまい、豪勢なキーボードで目の前のモニターをガシャガシャやってくれてもいいのだが、やはり「自分がどこで作業しているのか」が意識から外れがちに思う。
君はマウスとキーボードで目の前のモニターと格闘しているけれど、それって公共スペースじゃない?みたいな。うん、まったく伝わらないなぁ。

なんというか、展示物を見ている感じがするのである。
自分のキャンバスを買ってきて、そこへ膝をついて絵を描くような体験とは異なる感覚。どこか教室の黒板に自分の日記を書いていくような「罪の意識」みたいなものが芽生えて仕方がない。うん、まったく伝わらないなぁ。

確かにモニターは自分のものなんだけど、でもそこでブラウザを開いたりそのブラウザ上で何かをしたり。はたまた別のウィンドウでAdobeのソフトウェアを開いて作業する、とか。それはそれでいいんだけど、モニターって自分のものだと思いづらくないか?所有感とか私物であることの意識みたいなものを、モニターに宿そうとするのって結構大変じゃない?
とまぁこんな感じでまったくもって上手く伝えられないのだが、一言でいえば「あくまでラップトップをメインにその拡張としてモニターを用いるうちは、自分が所有している自分だけのプライベートなスペースを広く使えていると感じられるため、一定の安心感やそれによる集中(フォーカス)を保てる一方で、じゃあそのモニターに接続している私物のラップトップを視界から外してしまったら、もはや目の前のモニターが誰のものかの判断は難しくなり、作業スペースが『机のノート』から『教室の黒板』化してしまって長くはそこに居座れない」という話。

村木 瞬Shun Muraki
Web Designer

Neutral between linear and non-linear.

デジタルメディアのフォーマット
「Linear Native」について研究。

テーマは”リニアとノンリニアのニュートラル”