2022.01.21

エッセイ

ライフスタイル

クリエイティブな時間と規則正しい生活習慣の両立

久しぶりに内省の時間を設けようと思った。
大学受験の兼ね合いで、去年の7月から年末までの間に心が落ち着くことはなく、ずっと何かしらの形をした不安に忙殺される毎日が続いていた。そのため急性のストレスは慢性化して蓄積を進め、受験自体がひと段落着いた頃には、僕はかなり精神的に疲弊し切っていたように記憶している。
燃え尽き症候群、明白な睡眠不足。振り返っても特にストレス以外に積み重なったものは見当たらず、その代償としてずっと遠ざけていたタスクの数々が目の前には広がっている。
そんな状態で、とりあえず心を休めることから着手したことで、僕はそれこそ今年の1月まではほとんど何も前進することがなかった。ずっと長い間手を休めていたように思う。
自分にとって、何が大切なのかよく分からなくなった時期もあった。これから大学生になる近い将来を見据えて、自分は高校生だから起業家になりたいと思ったのか、もうそんなモチベーションも数ヶ月しか続くことはないのか、と不安になったりもした。結局「周りとは違う」という自分の在り方を守るために起業を目指しただけで、起業する人なんてザラにいる「大学生」というアイデンティティを抱えてしまった時には、そんな「起業したい」と思っていられるモチベーションもあっさり消え失せてしまうのではないか。だとしたら、これからの自分は何を目指したらいいのだろうか、何になりたいのだろうか。そんな漠然とした先の見えない感じが気持ち悪くて仕方なかった。
数日間このような悩みと向き合ったのち、僕はまず自分の「コア」から言語化する必要があるように思い立って、自身の人生を振り返りながら「自分にとって一番大切な『全て』とはなんだろう」みたいなことを考えるようになった。
そして、最終的には「自分のアイディアや行動で、人を喜ばせたり驚かせる」ことが、自分にとっての「生きがい」であり「全て」であるという結論に至った。
答えは案外さっくりとしていて、どこかあっけなさも感じられたが、何度も言語化した「コア」を読み返して、かなり心に触れているような感触があったから「これやな!」とここは潔く切り抜けることとなった。
自分のコアが見つかれば、案外それ以外のあらゆる分散した不安やもやもやは芋づる式にふんわり消えていく。
「自分のアイディアや行動で、人を喜ばせたり驚かせる」ためには、まず自分のアイディアを持たなきゃいけないし、それを実現する必要がある。そうすると現時点で僕が抱えている構想はいわゆる「ビジネスチャンス」であるから、換言すれば僕はこの実現に向けて「起業」というアクションをせざるを得ないわけだ。なるほどこういったようにコアから”逆算”をしていけば、自ずと自分の里程標はくっきりと浮かび上がってくるものなのだ。
こうして、自身のアイデンティティに依らない、これまでの人生というコンテクストに基づいた「起業家」という生き方の可塑性が確認できたところで、ようやく僕の重たい腰は上がり始めた。
西暦にして2022年1月のことである。

やることが山積みとなっている今、大切なことは2つ。
「クリエイティブな時間を途切らせないこと」と「規則正しい生活習慣を築くこと」だ。
数年前からずっと経験則として「生活習慣から人間はダメになっていく」という意識は強く持っているから、特に後者についてはトッププライオリティである。だからこそ、取り組むものを多く抱えている時は「起きる」「寝る」といった生活の「1日」をもう少し細切れにして、「〇〇をする時間」「〇〇に関してリサーチする時間」といったようにマルチタスクを続けることが大切だと考え、これを数ヶ月前から始めたのだが、これが驚くほどうまくいかない。
うまくいかない、というのはつまり「全くもって思考が進まず、だから一向に動き出すこともできない」という状態が続いた、という意味で、ズバリ僕はマルチタスクがとんでもなく苦手だったのである。
そして、マルチタスクがうまくいかない所以は他にも見つかった。それが先ほど書いた「クリエイティブな時間」の存在である。
何かを生み出したり、何か新しいことを考えたり、といった「あらゆる思考・行動の底に根差すような知的生産」については、マルチタスクのように「何時から何時まで」と時間を決めてコミットすることができないのである。(少なくとも僕は無理だった)
ここで「もうマルチタスクはできない、優先順位をつけて1つずつ前から終わらせていこう」と見切りをつけた僕は、早速シングルタスクに切り替えて作業をするようになった。そして、その結果としては、見事に生活習慣がダメになった。(とほほ…)
受験に区切りがついたことで、いわゆる「エンタメ消費」に時間を割く心身の余裕ができた僕は、当時溜まっていた心の疲れを癒すために、とNetflix等であらゆる映画を観て漁っていた。そしてその際に『小説の神様』(視聴当初は橋本環奈が主演だから目的にそぐうものであり、上映時期がコロナ禍とガン被りしてしまった可哀想な作品だから観てあげよう、という意識しかなかった)という作品と出会った。小説を書きたくて書いているプロ作家の天才女子高校生と、家族のためにお金を稼ぐ目的で小説を書き始めてプロになれた男子高校生が一緒に共作で小説を書き上げようとするストーリーなのだが、この中でキーワードとして「書くべき時間」という言葉が登場する。
これはつまり「夜でもぶっ通しでも(要するに生活習慣に寄り添わない形でも)、小説家として言葉を紡いでいなきゃいけない時間(熱中している時?執筆のモチベーションが高ぶっている時?)がある」という文脈で用いられるワードなのだが、これに僕はすごく感銘を受けた。
ははーん、なるほど「書くべき時間」か。「べき」と捉えればなんでも許されるのか。
そんな認識をするようになった。(映画の中では主人公が家族との交流を忘れて小説を書いていることに対して「今は書くべき時間なのよ」と母親が諭すシーンがあったりと、まぁなんだかんだで「書くべき時間」に伴う欠陥のあれこれを”許容”している感じがあったからそう思っちゃったんだと思う)
そして僕は今日の今日まで、生活習慣がぐしゃぐしゃになっても「今は”創造”するべき時間なんだ」と平気な顔でクリエイティブな時間を途切らせずにやってきた。母親が作った昼ごはんを寝起きに食べたり、静まり返ったリビングで冷え切ったステーキをしとしと切り分けたりと、まぁ怠惰な生活を送ってしまっている。(とても酷い)
エジソンは「寝たい時に寝て、研究したい時はずっと研究をする。眠くなったら寝る」という生活スタイルを続けていたみたいだが、これには大いに憧れを抱き兼ねない。しかし僕は研究者ではなくひとりの起業家になりたいわけで、人とのインタラクションや外部との交流を考えれば、当然ながら今のこのような生活を長く続けるわけにはいかない。現に早速支障も出始めているし、これは間違っている。

そんなわけで、現在の僕の悩みは一言「クリエイティブな時間を途切らせずに、規則正しい生活習慣をいかに維持するか」である。
しかしながら、これはデータサイエンティストの安宅和人さん風に言うと「イシューではない」。
この問題を解決するには、クリエイティブな時間をもっと細かく構造別に分割して「早寝早起き」というフレームワークに落とし込む”しかない”のだから。
長ったらしくうだうだと書いてきたが、怒涛とも言える2021年を振り返って、2022年に向けて前を向けるようになってきたぞ!ということを僕は言いたい。
そして、2022年という寅年に掲げたいテーマは「どんどんやろう。先回りせず現在地から、一歩ずつジャンジャンやろう」に決めた。このテーマについても一度言葉で整理をしておきたいと思っている。
あと最後に、最近見つけた「家で作業に集中をするコツ」として「部屋を図書館だと思い込む」という工夫を提案したい。完全にリラックスし切ってしまうのではなく、微量の緊張感やストレスをとっておくことが大切なように思う。それから集中が続かない時は、ココアを一定量飲みながら手を進めてあげるようにして、ノってきたら(ドーパミンが分泌されてきたら)そのココアを下げて、無糖のミルクティーに切り替えるといい。また手が止まったらココアに切り替えて、一定量飲んだからミルクティーに戻す。これを繰り返しながら、一歩ずつ頑張っていきたい。

村木 瞬Shun Muraki
Web Designer

Neutral between linear and non-linear.

デジタルメディアのフォーマット
「Linear Native」について研究。

テーマは”リニアとノンリニアのニュートラル”