最中 #monakaA Journal Edited by Shun Muraki.
This is the main view of EJ.
ひとことで言うなら「メリハリがないからよどむんだろ」という。 「なんでも発信できる」という時代の変化から、ちょっと努力してすぐに報われようとしたり、少しの凝り具合ですぐに成果物を出しちゃう風潮が蔓延していて、それが日本(他の国はどうなんだろう)の謎の”よどみ”を助長しているんじゃないかと思う。 誰しも子供の頃は「隠れて練習する」とか「人に言わないでこっそりやる」みたいなことが「かっこよさ」だったと思うのだが、なんというか大人になる過程で、また今の時世も相まって、その「かっこよさ」の価値基準が変わっていくんだと思う。 もちろん「彼は頑張っている」ということが人に知れること…
※日記に書いた乱文をついでにと思ってコピペします。 それまでは小説だったよね。本当に目指してたな。そう、小3からエラゴンで世界にいけることを知ってたからね。 その頃から村木少年は世界を意識し始めた。そして、時期を意識し始めたのが中学2、3年の頃。そして時期を優先して小説から起業へ。この時だって「なんだこっちの方が世界早くいけるやん!楽しそうだし!あの頃みたい!」ってなったからで。それまでは小説くらいしか作れないって思ってたけど。サービスからメディアを通ってデザインスタジオからプラットフォーム、最後にプロダクトへ行き着く。これが本当にやりたいことだ、と。そしてビジョンはますます具体的になっていっ…
散歩三昧。 ひとりでいる時間が長すぎるかもしれない。 怖くなるけど、自分はそうやって努力する道を選んだのだから、と思い返しながらなんとか前へ。 突き止めるまでに投げ出したくなることもあったが、自分がどうなったら満たされるのか、幸せなのか、時間をかけてちゃんと考え切れていたことは大きかったと思う。 そうじゃなかったら、自分のビジョンへ続く一本道を臆せず進むことは、きっとできていない思う。 まだ若いからか、自分と向き合う時間が多くて進捗が目に見えないことに怖くなったりする。 でも、全部整理して、未来に安心しないと走れない自分の個性だと思わないと。 だらしなくなっちゃいけない。 整理もつけずに、中途…
久しぶりの収録です。 ポッドキャストを録ろうとひとりで喋り通していると朝のいい目覚ましになります。 (:いや弟のくしゃみうるせぇな!!, BGMかってくらいずっとしてるけども。
月が端から欠けていこうが真ん中に穴を開けようが目もくれず、夜もしきりにプログラムを書いていたのは僕だが、Twitterなんかを見てみると、結構な人が月に関心があるものだと意外に感じた。 現実に辟易しているのか、空を見上げてしまうほどに満たされているのか。 自分から見える月を写真に収め、自分のもとにも、誰かの月が流れてくる。 人が繋がりを感じるために、派手なエンターテイメントは必要ないのかもしれない。 ふとそんなことを思った。 変に宣伝を煽ることも、騒ぎ立てることもなく。ただ夜の空に浮かんでいるだけで、地上の僕たちを繋いでくれる存在だと考えれば、月というのはなかなか。 何かを「する」のではなく、…
これから楽しいことばかりで、怖いことは少しもない。 人生をそんな「花道」のように思える時がある。 そばにいればがっかりするような人から距離を置いたり、自分への誤解を解いて俗な欲求も溶かしていく。そうやって自分という存在の輪郭をはっきりさせてきたように感じる。 結局、いろんなもので悩んだり、落ち込んだり不安に襲われるのはいつも「偽った自分」で、素直な自分でいられる時間は多幸感に満ちていて奇跡的だ。 本心では「こうしたい」「こうなりたい」と思っていることが、現実には叶わないと諦めた時から、人は自分を偽り始める。そうして環境までそれに適応し始める。気付いた時には、もう身動きが取れなくなって、もとの自…
小さく変わる政治 インターネットによる「思考停止」 誰もが日常的にインターネットを使う時代。SNSが実社会を肩代わりしたことで、大衆文化の一端を担う人々の存在はますます力を帯び、今や彼らが政界まで進出したと思えば、むしろ政治が大衆文化となりつつある。 「政治が大衆と結びつく」といえば一見聞こえがいいように思えるが、それが社会を間違った方向へ押し進めてしまっている感も否めない。つまり、大衆が「自分の頭で考える」ことなしに例えば選挙などに関与してしまっていることは、ひとつ「民主主義らしいシステムに準えた、方正ではない民主主義の姿」と言えそうだ。 この「政治に対するインターネットの悪影響」を考える時…
人間はドラマや映画で描かれるような「感情のV字曲線・N字曲線」なるものを自分の人生に充てがう傾向があると思う。 それは時にはドラマチックでロマンチックな世界を生きていることに恍惚感を抱けるのかもしれないが、同時に「まったくもって深刻でもなんでもない状態を切り取っては悲劇のヒロインを気取り始めて最終的にますます気を病む」という悪影響だって被る。 「自分はこの理想を叶えるために、現実でいろんなものを失っていって、最終的にはこんなに質素な生活を送る羽目になった」というようなものは典型で、「一角の人間になろうとしたら多くの人が離れていくものよ」じゃないけど、なんというか「夢を追うことの孤独」みたいなも…
「醜さは許せるが、だらしなさは絶対に許さない」 ココ・シャネルのような木にはたくさんの「名言」という果実が成っていて、こういう「言い得て妙」な言葉、ウィットに富んだフレーズを掃除機みたく片っ端から滑るようにかき集めるのが大好きな僕としても、この言葉はかなり刺さる。 ウォルト・ディズニーの「逆境に咲く花は、どの花より貴重で美しい」という言葉と言わんとしていることは同じだと思うが、前者はココ・シャネルがファッションデザイナーとして人々に何ができるか、という視点で生きていたからこそ残せた言葉だろう。 少し時期を遡れば、”シリコンバレー企業”としてブイブイ言わせるような先鋭的な…
「できる」と感覚的にでもなんでも思えたものにしか、「やりたい」とは思わない。少なくとも僕はそうだったのだな、とようやく最近になって理解した。 例えば今アイススケート未経験者の僕がトリプルアクセルを飛びたいとは思わないけど、例えばすでにダブルアクセルが飛べたとしたら話は変わってくるだろう。「トリプルアクセル飛んでみようかしら」と思うはずだし、実際の選手だってそうやってレベルを上げていくはずだ。陸上選手だって、例えば経験がなくてもなんかとりあえず走ってみてすごい結果が出て「このまま君次の大会出たら優勝できるよ!」なんて言われたら「出たい」と思うだろう。 「自分でもできる」と思った時に、ようやく興味…
やる気が失せることには多くの理由が考えられるけれど、この前の「未来から切り離されて感じる虚無感」みたいなもの、宇宙に放り出されたような感覚については「『今』がだんだん理想的なものになっていく」というふうに捉えてあげることで対処できた。要するに「今」と「理想・未来」を分断して捉えずに、あくまで「今」を「理想」的なものにしようと努力していった集積として「未来」ができるよね、という正しい認識をすることが重要だった。 しかし、これだけでは全くもって不十分だったし、これは断片的なものでしかない。結局はこれまでは当たり前のようにできていたけれど直近で怠っていたことが原因だった。それはズバリ「計画を立てるこ…
人と関わるから自分の理想を見失う。理想を分かっていても、周りの影響で崩れていくことだって多い。だからこそ、ひとりになって、計画を立てる。そして淡々と実行をする。 そして、モチベーションが切れたらちゃんと立ち止まる。それが自身の理想の解像度を高めたり、理想との向き合い方を学ぶ機会となる。これを重ねるたびに自分が成長したり変化して、また理想の方から変わっていくことだってある。 人生はこうやって「”その瞬間の現実”(スタート地点)・”その瞬間の理想”(ゴール地点)レース」を無限に仕切り直して繰り返す。目的地を変えながら、走り方を変えながら、移動した総距離や軌跡が「その人の人生」になる。 しかし、こう…
「動画・音楽の視聴時間0分」を達成できたから機嫌はいい。 クラシック音楽は常態で流しているけれども。
デスクワークは相変わらず大っ嫌いなのだが、今日までは前回の気付きからだいぶ身体的な障害を持たずに進めてこれた感はあった。でも今日になってすごく頭痛が生じた。色々考えたのだが、どうも目の疲れを同時に覚えたので、コンタクトを外してみたらスッキリ治った。 実際には体には問題がないのに、コンタクトをつけていたせいで横になる必要が出てきてそのまま数時間休んだ挙句ただコンタクトを外すだけで済むのがオチだったなんて。もういい加減こういうことは勘弁してほしいのだが。 調べてみるとコンタクトをつけたまま長いことデスクワーク等近距離に焦点を合わせていると肩こりや頭痛が出てくるみたいだ。これはコンタクトが本来長距離…
SoundCloudに音声ファイルをアップロードしてSpotifyで配信して、それをMonakaにもあげていたんだが。 SoundCloudのアップロード制限がかかってしまい、貴様に払う金はぬぇえ!ということで、YouTubeにアップロードをしてこちらへ埋め込む、という方針に変えました。 果たしてSoundCloudはやっていけるんだろうか… そしてSpotifyのポッドキャスト部門はこれでいいと思っているんだろうか… クリエイターの方でマネタイズしないでそっち側にたくさん支援していいコンテンツを作らせてオーディエンス側で回収するYouTubeのモデルと逆行するようだけ…
世界で今この瞬間が一番新しい。 人それぞれ人生の目的があって、やること成すことのすべてが異なる。 それぞれにスケジュールがあって、それぞれの道を進んでいく。 このように人がそれぞれ別々の時間で生きているのが世界なわけだが、孤独というものはこの「時間」を誰とも共有していない状況をいうのではないか。 ふたりそれぞれの時間を生きているが、例えば一緒にご飯を食べている間はふたりで時間を共有しているわけだ。この時には孤独感が募ることはない。 孤独感というのは、自分の時間の中に誰もいないことを感じているのであって、であれば誰かと時間を共有していることを意識すればい…
ごめんなさい やっぱり約束は守れない でも勘違いしないでほしい あなたたちのことが嫌いなわけじゃないの ただ もっと惹かれる場所を見つけただけよ 華やかで 自分らしく生きられる みんな向上心があって 情熱に満ちている そんな場所 素敵でしょう 少しここからは距離があって でも必ず お土産を持って戻ってくるわ そう アイスのように溶けてしまうものではダメね そうじゃないものを探してくる でもそれで喜んでもらえるか 自信はない &n…
ふと思い出して自身のポートフォリオをアップデートしていた。 CMS化していないので、情報を更新するためには毎度ソースコードを開く必要がある。 でもこれのいいところは、「ついでにここのデザインちょっと変えよっと」みたいなことができることである。 要するに情報自体も、それを表示するコードも、同じエディタ上で同じ「テキスト」として扱われていることは結構すごいことなんだという話である。 家とかもこんなふうにできたらいいんだろうなぁ.. そうこうしている間に、ますますサイトは仕上がってきたように感じる。 なかなかな手応え。こういうふうに定期的に研磨をしていくことで「自分らしさ」みたいなものが表出してくる…
最近はインターネットのどの場所を切り取っても、軽佻浮薄な弁論が「議論が交わされないまま」で飛び交っていて辟易としてしまう。 とか言っておきながら、結局僕だって好き勝手このブログには思い付きを片っ端からアップロードしているわけで。要は別に誰も端から「議論を交わそう」などしていないわけである。 だから「うぉおおおなんかみんないろんなことを考えているのね素敵!ふふふ」くらいが正しい受け止め方なんだろう。 久しぶりにマイケル・ジャクソンの「They don’t care about us」を聴いて、今の世界が真っ向から責められているように感じて驚いた。結局人は変わらないし、ニュータイプなん…
YouTuberがテレビに出るとただの素人、という話があるが、これはちょっと筋違いかもしれない。 結局「素人」と「玄人」の違いって「情報の公開のされ具合」くらいで、結局人間知らない人をみればなんか凄そうに思えるってだけかと。 人以外でもそうだ。大抵のことは知らないから怖いだけで、意外と向き合ってみるとものすごくかわいらしいことが多い(?) 話は変わるが、作業内容自体がまったく持って面白くない時、というのはどうしてもあって、そういうものに限って長く続く。 早く立派なCOOに恵まれて偉そうに机上の空論だけ考えてるような大人になりたい。 はて現時点での効果が大きいのは… キーボードだった…
「私たちのクライアントにはこーーーーーんな企業様が並びます!」という胸の張り方はお金を払ってでもしたくない。 じゃあ実体はなんだ?見せてみろと言ってしまいたくなる。 巨人の肩の上に乗って「高いだろ」なんて、なんと惨めな…. ばかと煙は高いところに上る。 人生は一度きりだ。 地に足がついた巨人にならなきゃ意味がない。 誰かのコンテンツやプロダクトが更新されるまで果報を寝て待ち、自分の頭からは何も捻り出せないようなメディア人だって同じように嫌いだ。 まぁいい。時間は人に等しく与えられるものだから。彼らは自分の時間という財産をドブに捨て続けていることに気が付いていないだけだし、それに気付…
かかと重心で座ったり歩いていないと、どうも目も開きづらくなる。 そうすると生産性に響いて残念… 「丹田」という位置に力が自然と入るように。 座る時もかかとはちゃんとついていないといけないらしい…げぇ…ハードル高… そういえば以前整骨院(?)の人と話した時に「ゴリラと人間の違いは、かかとをつくかどうかだ」ということを知った。 なるほど僕は人間よりはゴリラだったわけだ。 どうもデスクワークの時の姿勢というものに人間はうるさいのだが、ここまでお金をかけて環境を整え微調整していかないとすぐ体調を崩す(これは本当だから何も言えないんだけど)ということを踏ま…
Shun Muraki · 心から愛せるプロダクトも、必ずや自分で創る必要はない。
以前ONE OK ROCKのTAKAさんが「家では音楽はやらない」「そこまで音楽に興味がないのかもしれない」といったことを話している動画を観たことがあって、それが結構当時は不思議に感じられたものである。 要するに「一番好きなことをずっとやっていればいいじゃん」という価値観でいたのである。 サッカー選手はサッカーボールを蹴り続けていればいいし、自分がものづくりが好きなのであれば、それ以外は全部遮断して、プロダクト開発に専念していればいいじゃないかと。だってそれが一番好きなことなのだから。それをずっとやっていられるならそれでいいじゃないか。どうして休んだり別のことをしたりしているんだ?もうレースか…
創作意欲が上がるとラップトップ実機で開発をしたくなることがよく分かった。 で、モニターとか周辺機器もいっそのこと取り払ってしまおう。 だいぶデスク周りが寂しくなったが、今はMacBook Proが一台。それだけ。 ここに同じ高さでランプがあって、なかなかにいい具合だ。
昔高校の先生が「Twitterが革新的だったのは、投稿するときにタイトルが要らないことだったと思うんだよね」と話していたことがすごく頭に残っている。 確かにそうだ。WordPressにしたってnoteにしたって、なぜか当然のように「ここにタイトルを書いてください」ゾーンが存在する。 この「タイトルをどうしよう問題」にはわりと深い思考の余地があると思うんだけど、個人的に現時点で思うことは「タイトルをつけるモチベーションすらないような発信やコンテンツは、時代の変化とともに減っていくのでは」ということ。 要するに今はSNSたるものが盛り上がりを見せているからこそ、タイトルもつかないような発信が増えて…
おしとやかに内輪で好きなことを自分たちのリズムで淡々とこなすことが大好きだし、そこで作ったものやその成果で、外界との接続を感じることも大好きだ。 この「内向的な時間」と「外向的な時間」は両立することができるはずなんだが、僕たちはどうしてもこのどちらかでずっといようとする傾向があるんじゃなかろうか。 Twiceのミナが「メンバーがいるから、ひとりでいられる」ということをインタビューで話していて、これにはとても共感できる。 人間は社会的な生き物だから、繋がりを感じられることはとても大切なこと。でもずっと人といては自分を失ってしまったり、本当に大切なものを見失うことがある。 僕は自分にとって一番大切…
「残念」というしかないのだが、どうしても人は自分でお金を稼いで食っていかなくちゃいけない以上、それを考慮した生活とか、それが理由の仕事とかをするようになる。 それはそれで充実した毎日が送れそうだからなんら問題はないのだが、ただどうなんだろうか。 「生活していくための仕事」では、結局その時々の水準の生活を維持するための決断が多くなりそうである。 残念ながら人間の「結婚→出産」という王道は不可逆で、だから子供ができたら、当然養育費を賄えるだけのお金は仕事で稼いでおく必要がある。 しかし、ここまでくると「大事なもの」の順番は滅茶苦茶だ。 奥さん、子供と仕事、どれが一番大事なんだ?ここがよくわからん。…
「選手はなぜ走り続けるのか。それはどこかを目指しているのではなく、ただ止まることが怖いのである」というのは面白い切り口だが、個人的には「キツいけど、でも自分は走ることがすべてだし、走ってさえいればいいような恵まれた環境にあるんだ」と思えることも同じくらい重要ではないかと思う。 おそらく「努力」というものには「身体的な努力」と「精神的な努力」のふたつがあって、多くの場合は「後悔」「劣等感」「不安」「嫉妬」「迷走」「失敗」みたいなものを乗り越えるための「精神的な努力」が先ずあって、あらゆるものに整理がついてきた時に「身体的な努力」のフェーズが「ラストスパート」のようにやってくる。「ラストスパートの…
今の自分が抱く負の感情とその原因をすべて取り除くことができると「望ましい過去の自分」に回帰する。ここでの「望ましい過去の自分」とは、それまでの人生で最も楽しかった時の自身だ。 そして「今の自分」と「望ましい過去の自分」が紙一重の人もいれば、かけ離れている人もいる。野球選手が腕を負傷したら、その腕さえ治せば「望ましい過去の自分」を取り戻せる一方で、例えばみんなが素直で純粋だった小学生の頃の「望ましい過去の自分」を、今から取り戻すことは相当に難しい。 いずれにせよ「望ましい過去の自分」がいつの自分だったかが分かるなら、構造的に、つまり生活環境を当時へ現状復帰することが、望ましい自分になるためのショ…
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」 有名な一節だが、鏡からすればいい迷惑である。「知らねぇよ」と思ってるんじゃないだろうか。顔を近づけてそんなことを聞かれたら、誰だって気を遣って「あなたです」と言わざるを得ない。もしくは「どんだけおこがましいんだよこいつ」と気が引けて閉口するかだ。 ただ、最近になって蜷川実花の「ヘルタースケルター」を観て、その捉え方が変わった。 自分より年下で魅力のあるモデルが脚光を浴び始めたことで精神が蝕まれて主人公が路頭に迷うシーンがあるのだが、そこで彼女は通りの店の鏡に向かって、同じフレーズを繰り返すのである。 正直に言えば、ひとりの女性…
ひとしきりの胸騒ぎが収まると、老人はゆっくりと腰をあげる。 薄暗い四畳半はなぜだか通りに面していて、小学生の傘やランドセルだけが、ひらひらと視界を彩る。 華やかに身を包んだ若い男女は、お互いを愛でるように歩幅を合わせて通りがかる。ふたりは部屋の窓の中でちょうど立ち止まると、さも満足気に見つめ合っているようだった。 街の恋人たちは、どこかへ向かっているわけではない。お互いが目的地で、それがただ季節の風に揺れているのだ。 老人は羨ましく思って表へ出た。何やら惹かれる香りを感じる。歳にはそぐわないが、どこか懐かしさを覚えた。 心おもむく方へ歩いていくと、近くで出店が開かれていて、そこへ学生や夫婦が多…
朝起きてから、自分のチューニングをするためのリストに目を通すようにしている。 何をどう考えるべきだとかどう捉えるべきだとか、何を考えるべきだとか。そういう自分が生きやすくなるポジションにマインドをセットしてあげることを頭に持ってくるとすごくいい。 最近どこか夢うつつで、何から手をつけていいのか、自分はどうしたいのか、といったことが見えなくなって呆然としている時間が結構生じて、これがとても厄介。 テストの問題を配られても意識がついてこなくて問題用紙に目がいかない時の感覚に近い。 こういう時は、自分がやらなくちゃいけないこと(それはつまり好きなことなわけだが)の原風景というか、自分が好きなことをし…
「やりたいこと」とか「理想像」とか「ありたい姿」とか「好きなこと」とか「自分探し」とか「モチベーション」とか「自己実現」とか。こういう大衆が共有する人生の命題みたいなものについて、人間は一言で整理したがる傾向にあると思う。そして僕もここに含まれるわけだが、最近になって綺麗に言語化できたなと久しぶりに思えたことがあって。 「幸せとは?」という問いに対して、答えは一言「理想に忠実であること」だと思うのである。 「やりたいことをするためにやりたくないことを必死にするんだよ!」とか「なりたい姿から逆算して…」とか「理想像を浮かべてモチベーションを高めて…」とか、まぁ色々なことを…
コンピュータも道具である。 自分は「ハードウェアをきれいな状態で使っていたい」欲と「カバーとかつけて守ったり、慎重に持ち運ぶのは違う」という感覚が交錯しがちだったのだが、最近思うことは「ハードウェアがきれいであること」に意味はない、ということで、むしろ汚かったりちょっと壊れているくらいの方が画面の中の本題に集中しやすいように思う。 要するに、今の僕にとって理想的なマシンのあり様といったら「ちょっと壊れているけれどものすごくハイスペックなコンピュータ」である。それくらいがちょうどいい。 YouTubeは相変わらず観ないようにしているとはいえ、極めてやりたくないことがあるとどうしても向き合いたくな…
ふとして抱いたアイディアが、実はそれが国際的に重大なもので、その人は牢屋に押し込まれてしまう。 他者への復讐心を灯しながら、巌窟の中で出会った数人とともに、頭にあるアイディアを実現しようとする。 このアイディアが自分をここまで追いやったが、ここから出るためには、このアイディアが必要なんだ、と。 数年の孤独な時間が走り、ようやくアイディアが形になると、それが世の中に解き放たれると同時に、自らも牢獄から解放される。 そして、その時には莫大な資産が築かれている。 今日も汝の道を進もう。
孤独死、みたいな話が問題視されるようになって久しいが、確かに部屋でひとりいる時の静けさといったら耐えきれないものがあって、人生で初めて「ピアノの音がほしいわ」と思った瞬間と遭遇したのが今日。 確かにクラシックっていうのは偉大だなって感じる。なんかほんと心に寄り添ってくれるだけで十分なんだなってつくづく感じる。 本とかもそうじゃない。小説を読んで共感したとて、解決策が見えなければ何も良くなってないじゃないかって思ったりしてたけれども、それはまだまだ傷が浅かった頃の話だったと分かった。 いよいよ寂しさが極まると、共感してくれる、共感できる、そういう寄り添ってくれる何かを求めてしまうのが人間で、それ…
芦田愛菜さんが18歳で、藤井聡太さんが20歳かぁ、と伊右衛門のプロモーションを観て物思いに耽っていたわけだが、冷静に考えると、18歳というのは国民的な女優さんが頭角を表し始めるのがこの頃のイメージで、それでいうと彼女たちは18歳の段階でかなり浮世離れした雰囲気と大人らしいルックスを兼ね備えていたような気がする。 それでいうと、芦田愛菜さんはどこか子供の頃から知っていることが理由なのか、まだ幼いような印象を持っていたし、それでも18歳という年齢に違和感を覚えることもないような印象を受けた。 芦田愛菜さんは勉学に勤しむ時間が長いそうだし、女優として華々しい人生を歩んでいく女優やモデル志向の人たちと…
強いて言えば僕が悪いんだけど…、という話。 僕は自分が思うに、昔から「これやりたい」「実現したい」と思うことについてとことん向き合って方法を考えたりトライアンドエラーを繰り返すような経験が人よりも多いと思う。 そのひとつひとつがセンスのあるものであったかと聞かれたら首を傾げることの方が多いけれど、それでも「自分がこうありたい」と思ったり「こうしたい」と思ったことに対しては、素直に現実を見つめつつしっかりポジティブに折り合いをつけるような努力をしてきたように自覚している。 ただし、いつも発生するのは、時間が有限であるがゆえに「本来やっているはずのこと」に手が回らなくなる問題。 本質か…
新幹線より。
イノベーションは既存の掛け合わせであることには理解を置いているが、もともとは小説家を目指していたこともそうだろう。 おそらく僕は、本当のゼロからスクラッチでプロダクトを創りたい。その心は「ゼロから実装する」とはちょっと違う。要するに「設計図をゼロから描きたい」のである。 「オリジナリティ」を主張する時、人は機能を追加して「他社にはこれがない」という。それが自分たちのオリジナリティであり差別化であると。 でも、そうやって「機能を増やして複雑化させてオリジナルにする」なら、既存のアイディアとはまったく似つかない「根本的にオリジナルなもの」をつくってしまってプロダクトは「究極なシンプル」にとどめる方…
どんな夢想主義者も現実を生きている。 現実世界に着手し、現実に生きる人と関わる。 そうしていくといつの間にか「夢」が小さく萎んでしまう。 けれど、性根は夢みる瞳であるがゆえに、未来が見窄らしく思えて辛くなる。 現実世界を生きなくちゃいけない。 現実をキャンバスに、夢を描かなきゃいけない。 それは本当に刺激的で充実そのものだけど、しかして視野を広く保ち続けることも難しい。 いつもふと手がとまった時に振り返って、いつの間にか夢とたもとをわかっていたことに気付く。 そしていつも夢の跡をさまよい「自分のものだとは思えないもの」を探す。 寄り添えなかった夢。 そ…
最近の村木の作業スペースは、文字通りシンプルを極めている。 MacBook Proに一台モニターを繋いで、操作は全部ラップトップ上で完結する。 ラップトップを立てかけるようなスタンドもないし、iPadもないし、Magic Mouseもなければ愛機のIQUNIXのキーボードだって取り払ってしまう。 しかし、何も作業に支障は出ないし、むしろこっちの方がずっと好みである。 いわゆる「ガジェット好き」な人たちをみていると、周辺機器の数と作業効率は比例関係にあると思いがちである。 でも実際どうだったかと振り返れば、どうも「作業する環境」に意識がいく分「作業する内容」にはそこまで集中できていなかったような…
最近貧血気味でちょっとまずいような気がしていた。 あからさまにかつおのたたきをまとめ買いして積極的に鉄分を増やしにいったりと妙なことをしていた数日間だったのだが、ふと「部屋が暗いせいで心が晴れないのでは?」と思い立ち、カーテンをがっさり開放。セミの声が舞い込んでくる。 すると、すーーーーっと身体の悪いものが抜けていくような気がして、まんまと元気になった。 「日照不足」という話らしく、国によってはだいぶこれが社会問題になるそう(SADになる人が増えて…等々)。 だいぶ7月は心が落ち込んでいたこともあって(というよりは現実を見つめて冷静に動けるよう徹していた)ため、部屋はずっと閉め切っ…
SNSと触れている時間が嫌いでたまらなくなってから久しいが、最近はヘッドホンをつけるのも”なぜか”すごい不快感を覚える。 UGCを試聴している時間も、そうしている自分もすごく嫌だし… 等々。 ノイズキャンセリングのヘッドフォンで人工のホワイトノイズなんか再生し始めたら終わりだ。 そうか君は地に足つけて生きていたいんだね、ということは最近よく分かってきた。 スマートフォンも近くに置いていたくないし、通知なんてとんでもない。 スマホを触っている人の様子や、毎日のほとんどをSNSで過ごすような人も、見かければそういう人がいるんだ、というだけで嫌になるし、自分はより…
腹を決めるためには、心を決めることだ。 そして心が決まるためには、辻褄が合っていないといけない。 いわゆる「Make Sence」ってやつ。 実生活でエンジンが入らない時は、何かしらの意識が抜け落ちているか、考え切れていない部分と直面しているかのどちらかで、こういう時にしっかりあらゆる思考・構想の辻褄を合わせておかないと、結局「うさぎとかめ」の”うさぎ”側になってしまう。 そもそも人生において長い時間自分と向き合う機会はそこまでないんじゃないだろうか。したがって悩んでいる時は絶好のチャンスであり、恐れずに「Make Sence」するまで、いろんな部品を組み合わせながら解を探し続けるべきではない…
まて、しかして希望せよ。
これまでいくつかSNSをしていたので「最中」の扱いについて敷居が上がっていたこともあり、見事に「ちゃんと文章を書く時間や余裕がない→何も投稿できない」という失敗に陥ってしまっていました。 ただ今日ふと考えてみると、どんな発信でも、ここに一元化してしまったらいいじゃないか、と思い立ちまして、今日からはもっとSNSチックな投稿もします!(これまで通りかしこまった記事も投稿していきます。ひらがなと漢字。)
「理想的な将来の自分」から逆算して定まる「理想的な今の自分」の一部が「実感(根源的な本能の欲求を含む)」として恒久的に作用し、この外的な動機付けが、実感を伴い難い「理想的な将来の自分」への自覚を促し、ここで初めて「理想的な今の自分」の全部(理想的な将来を追求する理想的な今の自分)の体現は目指される。
いつの間にか季節は5月を迎えてしまい、そろそろ夏がやってこようとしている。 最近は相変わらず「最大可能時間をベストパフォーマンスで駆け抜けて一日を終えるには?」というイシューに向き合っていて、その足並みがかなり揃ってきたことを実感している。 真面目に生活習慣とかパフォーマンスのことについて考え始めたのは高校2年の夏頃で、当時「『超』がつくほどストイックな一夏を過ごしたら検証」なるものをやっていたのが懐かしい。 高校2年生は一夏でどれだけ変われるのか検証します。 「超」がつくほどストイックな一夏を過ごしたら検証の総括!(8/30, 8/31の振り返りあり) そして、最近はかなり大元の目標を達成で…
この度、本ブログサイト「最中」の本格的な運用を開始したいと思います。(2022 4/29) これまでに他のサイト等で書いていた記事は本サイトにもそのままポストしていますが、なんせ一日にいっぺんにそれら複数をアップロードしたので、記事ごとの投稿日時や、表示の順番がおかしくなっています。ごめんなさい。 さて、この記事では「最中」がどんなサイトになっていくのか、どんな役割を担っていくのか、そういった今想定しているサイトの全貌についてざらりと記していこうと思います。
先日、カナダの高校に通う日本の友人と久しぶりに通話をしたところ、どうやら彼はカナダの大学に進学するそうだった。以降お互いの近い将来について話が転々としていったのだが、何を間違えたのか、終盤を迎えた頃には「一緒にYouTubeをやろう!」と意気投合していた。時刻は夜中の二時を回っていたが、それからは二人で妙な高揚感を共有し、電話を切ってからどっと疲労感が襲ってきたのを覚えている。眠い目を擦りながらも、耳元でハキハキと爽快に響く彼の声に波長を合わせて会話をしていたせいだ。
久しぶりに内省の時間を設けようと思った。 大学受験の兼ね合いで、去年の7月から年末までの間に心が落ち着くことはなく、ずっと何かしらの形をした不安に忙殺される毎日が続いていた。そのため急性のストレスは慢性化して蓄積を進め、受験自体がひと段落着いた頃には、僕はかなり精神的に疲弊し切っていたように記憶している。
最近、極端に悲しくなることが増えた。 そういう時期なんだろうか。 落ち着かない。 感情が抜けていて、でもそんな”感じ”はする。 変わらない毎日。 人は一体何をしてるのだろうか。 前に進むことは難しい。 でも、前に進んでいかないと外に出られなくなるような気がして怖い。 怯えながら、暗闇を進む。ただ、進む。
大抵の「やりたいことがない人」を、僕はあまり好きになれない。別にその人を責めているわけではなく、単純に「分かり合えることが少ないから」というのがその理由である。 この世界は、人が思うほど捨てたものじゃなくって、それなりに興味を持って向き合えば、そこそこに自分を魅了するもので溢れている。実際に、それが人を行動させて、気付いたら「やりたいこと」になっていることがほとんどなわけだが、要するに「やりたいことがない人」は「あらゆることにそれなりの興味を持とうとしていない人」であるように思えてならない。
お久しぶりです。 村木瞬です。 しばらくぶりにブログを書こうというか、 書いて発信していかないと! という意識が芽生えたので、 近況だったり考えていること、これからアクションに移すことなどを 自分の頭の整理も兼ねて書いていこうと思います。
お疲れ様です! 先日10/14に開催されたAppleの製品発表会で噂通りiPhone12が発表されましたね! 今僕はiPhone8を使っているのでホームボタンがないiPhoneを早く持ちたいと思っているのですが、それよりも心躍ったのは「そういえばAppleのWebページって今の自分の知識でもなんとか実装できるんじゃないの!?」という気付き。
もう本当にストレスが溜まってしょうがなかったので衝動的に書きます。( ̄∀ ̄) ここ最近の僕は自分を追い込みすぎたせいでしばらく体調を崩していて、ちょうどこのタイミングで入った連休でもあったので「ガッツリ休む」をテーマに、自分を3歳児の息子のように扱おうと決めていました。 今日がその2日目なのですが、YouTubeをなるべく開いて(まずアプリをインストールするところから始まった)、暇つぶしをしているような生活を目指していたんですね。 ただ、やっぱり気になっちゃうんです。 今後の自分のことが。
お疲れ様です! 今日は9/1です。 そう。 夏休みが終わったんです。 長かった1ヶ月も、体感で言うと2週間くらいだったのですが、この「超」がつくほどストイックに一夏過ごしてみたら企画の検証結果を含めてガッツリ振り返っていく内容でこの記事をまとめようと思います。 ただその前に8/30と8/31のまとめを書く必要があって、でも旅行に行っていたこともあってストイックさのかけらもない2日間だったから、書くことは実はあまりありません。笑 この時点で「お前本当にストイックに生活したつもりかよ」というツッコミで胸が痛いのですが、多めに見てください。。
お疲れ様です。 ここ最近、記事を更新していない村木瞬です。泣 というのも、今8/30、8/31と友達と旅行にきていて、8/29と8/30の記事の執筆が進められていなくって。悲しい。 ただ、毎日更新をサボっちゃいけないので、頑張って更新を追いつかせようと思い立って、8/30の夜に旅館で作業を進めている感じ。 この記事は8/29の振り返りになりますが、とりあえずこの日に大きかったのは「新しい形のアイディアが生まれた」ってところ。 と言ってもSOSOとSpillに加えてまた新しいことに手を伸ばすのではなく、Spillのピボットをするイメージです。
お疲れ様です。 今日は1日結構頑張ったと思います。 動いている時間がほとんどだったからかもしれないですけども。 朝、驚異の7時起きを今になって実現し、それから数学の課題をやり、ブログを書き(8/27分)古典の課題を進めてからSpillの新しくデザインしていたものたちをコーディングに落とし込んでいました。 それが午前中。
さて。 記事を書くのが次の日になってしまいましたが、昨日のことをざっと書こうと思います。 といっても課外活動にコミットしていた時間はほぼなくって、昨日は1日、友達と遊びに行ってました。 #ストイックな生活どこに置いてきた ただ、ラーメンを食べてからすぐにスターバックスに移動して勉強をスタートしたので、実際はメインで学校の課題を進めていたのでOKだと思います!笑 途中でスターバックスが暑いとマックに移動をして(珍しいパターン)、19時まで勉強を続けた後にすぐ近くの映画館で「思い、思われ、ふり、ふられ」をみてきました。
お疲れ様です。 8/27は友達と勉強をしたあとに映画を観る、というどちらかというとオフな日になりそうなので、今のうちにと徹夜をして作業を進めていました。 この記事を書いているのは8/27の朝5時です。笑 8/26は、午後いっぱいインターンがあって、そのあとにSpillの奥多摩編を新しく勉強した書き方で作り直し、動きを改善させようと一日コーディングに励んでおりました。 そして、今日思ったことは「スキンケアって超大事やな」ってこと。
お疲れ様です。 とにかくあと1週間ほどで高校2年生の夏休みも終わってしまうという悲しさにやられている村木瞬です。 今日は先日のSpillの実装を踏まえて、改善点をリストアップしていたので、そのあたりのインプット&アウトプットをメインでやってました。(TweenMaxとかTimelineMaxとかScrollMagicとかなんか名前を言っただけでマウントが取れそうなものたちをニヤニヤと) 詳しくは今度別の記事で上げることにして、今日は「超」がつくほどストイックに生活をするよう意識し続けてみて、成長したことがあったので先取りで振り返りをしようと思います。
夏休みの終わりになっても未だに悩んでいることがあって、8/23の夜(8/24の夜中)に起きたまま悩みと向き合ったりしていました。 もうほんとにしんどかった。 何がしんどいって、人間動いてる時は前に進んでる感があってまだ耐えられるんですけど、考えてる時って前進してるのか後退してるのか分からなくなるじゃないですか。 それがずっと続いていくと、日常的に不安要素とか気持ち悪さが残ったままになるから、こっちとしてはなるはやで解消したい悩みなわけです。
お疲れ様です。 今日は塾で夜の8時まで授業があって、それから久しぶりにマックで夜ご飯を食べてそれで1日の多くは終わってしまったんですが、今後もっと勉強に割く時間を増やしていって着実に「俺は慶應受かるな」と思えるようにまで努めようと思います。 たまたまスマホでネットブラウジングしている時に知って感動したのでここで雑談しようと思ったのですが、「博多美人」について。笑 博多の女性ってえげつなく魅力的な特徴を持ってるらしいんです。
お疲れ様です。 今日は学校の夏季講習を受けた後にそのまま塾に向かって、驚異の5時間連続個別指導を受けていました。 勉強しすぎな1日でした。 ただ家に帰ってきてからも残りの勉強を進めたりと、少しでも強制的に勉強する機会があると、その後で軌道に乗りやすいかもです。
こんにちは。 今日は学校の夏季講習があって、13時半あたりまで学校で授業を受け、家に帰ってきたのがだいたい15時でした。 15時からまた切り替えてSOSOなりSpillなりブログの執筆をすればいいところ、今日はそれが叶わずに夜から最寄りのスターバックスに駆け込んで学校の課題に取り組んだ1日になってしまいました。
昨日頭の整理がついて、今後2、3年の大きな道筋が考えられたので今日は安心して怠ける時間が多かった気がします。 講習に行って帰ってから少しだけインターンをして友達との旅行のプラニングを電話でぺちゃくちゃしてあっという間に夜って感じだった。 もっとストイックにならなきゃ。 これからは学校の勉強にストイックになろうと思ってます。 明日も学校の講習に行き、そのままどこかのカフェで夏休みの課題に明け暮れることとなりそうです。 というわけで今日はだらけてしまった記念日として少し関係のないことも描こうと思います。
お疲れ様です。 8/19はちょっと病みすぎちゃったせいでろくにブログのための文章が書けませんでした。 ただ、「大学受験」とか「自分のやりたいこととどう向き合っていくか」とか「短期的な悩みと長期的な悩みのバランス」みたいなところで、一度頭の整理をしないとやってけないぞ!と夜中の3時からつらつら今考えていることをNotionに書き出していたので、今回はその「生の高校生の悩みとそれが解消されるまで」をニヤニヤしながら感じ取ってもらえたらと思います。
お疲れ様です。 「YouTubeを観ない」と決めた1週間も半分が過ぎようとしていますが、いよいよNewsPicksの方が面白いんじゃないかと疑い始めて全く苦痛がなくなってきたことに驚いている村木瞬です。 今日もいつも通りで午後からインターンでした。 夜ご飯を食べてから、「note」のダッシュボードをみてみたのですが、まぁびっくりしたので報告しますね。 そもそもなんでnoteを開いたんやって話なのですが、今日になって急に「スキルシェアサービス」に関する記事にいいねがきたり、フォローされたりの通知が増えたんですね。
お疲れ様です。 この活動を始めて1週間のうちに毎日投稿をサボるというポンコツっぷりを17の誕生日に発揮した村木瞬です。 今日は結構得たものがあったのでまとめます。 スケジュール的にはいつも通りな一日だったのですが、8/16に僕はNewsPicksのプレミアム会員に登録をしてもらえて、そこからひたすら観たかった動画たちを漁っては作業中に流し続ける時間が続いておりまして。 もう面白い。笑 NewsPicksってこんなにコンテンツ充実してたんだっていう。
もう17歳になってしまいました。 泣きそうです。笑 でもおめでたい!いろんな人にFacebookでも祝っていただいてすごく嬉しかったのですが、個人的に「17歳」という年齢はすごく特別だと思っていて。 言うならば「ザ・青春」ですよね。 ただ僕は男子校に少なくとも2年通い続けることが決まっているので、そんな高校2年生だとか17歳だとかそんなことはどうでもいいんです。 本当はどうでも良くない。 でも、どうでも良くないってことにしないとやっていけない。それが男子校。
お疲れ様です! 現在Spillのコーディングに悩まされている村木瞬です。 今日はお昼前に起きて友達と連絡を取り、そのまま朝食を食べる気分で昼食を食べに出かけました。 餃子を食べたあと、いくつかカフェを回ってからタリーズに行きつき、それからデパートの閉店時間21時まで作業を続けました。
お疲れ様です! 村木瞬です。今日はSpillのデザインをあーでもないこーでもないと試行錯誤しながら最後コードに落とし込むまでを進めました。 すごいハードワックだった!笑 でも今後のことも考えながら「よりお洒落」をコンセプトに作品をつくっていけるよう工夫するのはとても楽しかったです。
投稿が遅くなってしまい申し訳ありません。 昨日めちゃめちゃ疲れたせいで、記事を書く前に寝落ちしてしまった感じです。。 ただ、昨日の収穫はかなり大きかった! 何をしたかと言いますと、前回の記事でも書いたように「Spill」の一つ目の作品をつくるべく、奥多摩に行って写真素材をたくさんとって参りましたっ
お疲れ様ですっ! 今日は寝る何時間も前に書いておこうと思うのですが、実は昨日寝れなかったんです。 自分の近い将来のこととかをあれこれと考えていたら、楽しくなっちゃって寝ることを忘れてたって感じですね。 そんなこんなで眠い目を擦りながら、朝の5時からZip!を観てスタートしたのが今日だったのですが、朝にリセットしてみてやっぱり実感したのは「朝早くスタートするとめちゃくちゃ気持ちい」でした。
お疲れ様です! 日々暑い日が続いてますね。 まぁそんなことはおいておいて、早速今日の振り返りから。 ベットにつく時間がどんなに遅くなろうと、次の日には必ず7時に起きることを心に決めていながら、今日は驚異の12時起き。 もうおバカすぎて話にならん。
お疲れ様です。 今日は2日目のチャレンジでしたが、まず謝りたいのは今日の起床時間ですね。 見事に9時半を回ってました。すみません。 明日からは7時に起きれるように頑張ります。 さて、今日やっていたことはすごくわかりやすくて、City Cafeのプロトタイプづくりです。
高校2年生の夏にもなってろくに青春を謳歌できていない村木瞬です。 今日は「高校生起業はアイディアだけでスタートラインには立てるけど、そこから走れないどころかフライングすらさせてもらえない」という経験談を、特に何かを成し遂げたわけでもない僕がつらつらと語っていこうと思います。
さて。 「毎日『超』がつくほどストイックに生活をしたら一夏でどれくらい日常生活が変化するのか検証」の記念すべき初日も夜の10時半になりました。 もともと「今日何をしたか」を写真とともに振り返るコーナーを設けるつもりでいたのですが、かなり長くなってしまうので、テキストの合間に今日の写真を時系列で挟んでいく構成でやってみます。
さて。 いよいよ全力で毎日を有意義に過ごす1ヶ月が始まろうとしています。 (厳密にはもう8日だし1/4終わってる) 個人的にはワクワクとなんとなくの不安が混ざり合っている感じで、というのも僕はYouTubeを見ながら作業をしたりNetflixを観るのが大好きなんです。
どうも、村木瞬です。 今日は「高校生が起業に惹かれてから驚いたこと」について書いていこうと思います。 僕は今高校2年生で、都内の進学校に通っています。 「都内の進学校に通っています」と言うと出だしからマウントを取ってくる、感じの悪い奴だと思われそうですが、自分からこう言っているのには意味があります。
こんにちは、「高校生Webデザイナー」と格好つけたくてたまらない村木瞬です。 最近になってようやく学校の1学期が終わって夏休みになりました。 そのせいかすごく機嫌のいい日が続いています。 そんな中でブログで何を書こうかといろいろ考えたのですが、「夏休み中の高校生の過ごし方(ルーティーン)」みたいなものを写真付きでまとめてみたら面白いんじゃないかと思ったので、今回は起業だったりWebデザインに取り組んでいる高校生が、学校の課題を含めてどんなことを考えながら、何をして過ごしているのかについて書いていこうと思います!
こんにちは、村木瞬です。 今日は「高校生で起業に興味を持つと必ず悩むこと」について書いていこうと思います。 ちょっと最近になって気付いたことが1つあって、このブログは高校生がWebデザインだったり起業に関することだったりをつらつら書いていくつもりでスタートしたものの「僕自身が何もやり遂げてない」から「高校生事業家の〇〇」みたいなインパクトのある記事の書き方ができないんですよね。笑 ただこれからも「結果を出す」ことを第一に行動していくので、その過程とかリアルをお届けできたらいいなと思ってます。
「学生の仕事は勉強すること」 結構な人が口をそろえてそう言いがちだが、当たり前だけれどもうそのマインドでのんびり生活できるような時代ではない。 僕のまわりでもとんでもないおっきなことを成し遂げたり、自分の興味関心がある場所にまっすぐ進んでいる人もいる。当然その中には中高生のうちからお金と向き合いながらビジネスをしたり社会貢献をしている人たちがたくさんいて、その中にいると「なんかもっと学校の机に座って勉強することの意味がわからなくなっちゃった」と感じることが多くなって、今高校生の僕らは「学業」と「自分のやりたいこと」のどちらにウェイトをかけて、バランスを取っていくのがいいのかな、とそれまで以上に考えるようになった。